
主に感謝せよ
谷口 明法
聖書箇所 聖書箇所 詩篇118:1〜9節
● 2002年最後の礼拝を迎えました。過ぎてみるとあっと言う間の一年でした。この一年はどのような年だったでしょうか?
● 共同通信社が出した2002年度十大ニュースは、「第一位に、北朝鮮拉致被害者5人帰国」、「第二位、ワールドカップサッカー」、「第三位、ノーベル賞ダブル受賞」があがっています。その他に、牛肉偽装や食品不正表示事件、東京電力の原発トラブル隠し、株価や失業率の問題などが上がっています。上位三位は喜ばしいニュースであるものの他はどれも困ったニュースです。
● このような時代にあって私たちは、明るい時代にいるとはほとんどの人がいえないのではないかと思います。そして暗い時代、喜べない時代にいると大切なことばも消えていく時代ではないでしょうか?たとえば「ありがとう」ということばはそうでしょう。多くの子どもたちと関わっていて子どもたちが「ありがとう」を言わなくなっていることが分かります。受けて当然、あって当然の世界に生きているからです。これは何も子どもだけではなく、大人の社会がそうであることの結果であるでしょう。
● 先日、テリー先生の日本での運転免許取得のために同行しましたが、帰りに誰かが大切な書類を落としていました。テリー先生はすぐに拾って、だれのものか分からないけれども、バス停に行ってひとりひとりに尋ねました。すると持ち主が見つかったのですが、その人は「ありがとう」のひとことも言いませんでした。
● さて、短期宣教師のセーラさんからはよく「サンキュー」ということばを聞きます。アメリカもやはりサンキューがなくなってきた時代だと言いますが、彼女は両親からそのように教えられたと言っていました。「サンキュー、ありがとう」は短いことばですが、とっても大切なことばです。私たちは最近、いつ「ありがとう、サンキュー」を言ったでしょうか?また、いつイエスキリストの神に「ありがとう」と感謝を捧げたでしょうか?
● 詩篇118篇1〜9節を読みましょう。そしてどうして神に感謝するのかを学びましょう。
(1) 神の愛が永遠だから
● 聖書は1〜4節にかけて毎節、「主の恵みはとこしえまで」といいなさいと教えています。1節では主なる神がいつくしみ深いとあります。これはヘブル語で「チェセド」と言いますが、「ゆるぎない愛、不断の愛」と訳すことができます。すなわち「恵みといつくしみ、そして愛は互換性のあることばなのです。
● 聖書は神の恵み、いつくしみ、愛は永遠であると語っています。
● 多くの人たちが神が愛であるなら、なぜこのような暗い時代で、こんなひどい事件が起こるのかと言います。また、このような状態は神がいないことを証明していると言います。しかし、それは正しくありません。私たちのまわりの悲惨な状況は神の不在証明ではなくて、人の罪の存在証明だということです。
● そしてキリストはそのような罪の中に生きる、罪人のために人となって来てくださり、その愛を現してくださったのです。(ヨハネ3:16)また、十字架にかかって私たちの罪を負って苦しむことで、その愛を現してくださったのです。そればかりか、死んだ後、三日目によみがえって、罪と死の力を打ち破り、私たちを自由にする道を開いてくださることで、その愛を現してくださったのです。
● この愛が示され、注がれているので、私たちは主に感謝しましょう。
(2) 神が味方だから
● イエスキリストを受け入れ、クリスチャンになることのすばらしさは何でしょうか?それは神が味方になってくださるということです。
● 5〜7節を読みましょう。
● 英語の聖書ではThe Lord is on my side.と訳されています。直訳すると「主が私のそば、片側にいてくださる。」ということです。
● 今日、多くの人たちが癒しを必要としているのは、肉体の疲れのためではなく、精神的な疲れのためです。それは人間関係のためであるということができるでしょう。人間関係の傷のいやしのために人は別の人間関係からいやしを求めようとします。しかし、また傷つくのです。人は一人で存在することはできません。神は人間を個人としてつくられただけではく、人類という集団としても造られたからです。人にはだれかがそばにいてくれる必要があるのです。
● しかし、主こそ、私たちの傍にいて、私たちの味方となってくださる方なのです。クリスマスの出来事を記したマタイはイザヤ書の預言を引用して、処女がみごもる男の子はインマヌエル(神は私たちとともにおられる)と呼ばれる方だと言いました。旧約新約を通して語られているすばらしい知らせは、神は一緒にいてくださる方、味方であるということです。
● あなたや私がキリストのもとに行くなら、彼は一緒にいてくださり、味方となってくださる方なのです。だから、私たちは主に感謝しましょう。
(3)神は信頼できる方だから
● 第三に、神に感謝する理由は、聖書の神が信頼できる方だからです。詩篇118篇8節では、主に信頼することは、人に信頼するよりもよいと教えます。イザヤ2章22節では、「鼻で息をする人間を頼りにするな。」とあります。私たちは人を愛し、たとえ敵であってもその人のために祈るべきではあっても、信頼してはいけません。
● 9節では、主に信頼することは君主たち(王たち、国の指導者たち)に信頼するよりもよいと教えています。私たち日本に住んでいるものはこのことをよく理解できるのではないでしょうか。日本の政治家の堕落を見続けるとき、聖書のことばが真実であることを教えられます。
● 聖書はさらに、箴言3章5節で、「自分の悟り(知識)に信頼するな。」と教えます。自分の知識、知恵も有限であり、自分自身でさえ自分を裏切る者であることは人生の経験を積めば積むほど分かっていくでしょう。
● また、聖書は「自分の力」にも信頼するなと言います。ハバクク1章11節を読みましょう。「それから、風のように移って来て、過ぎて行く。自分の力を自分の神とする者は罰せられる。」
● 私たちには与えられなかったものは何ひとつありません。自分で生み出したものは何ひとつありません。神からの賜物なのです。私たちはそれを発展させ、成長させ、成熟していくことが使命としてあたえられているのです。ですから、与えられた賜物に信頼してはなりません。力も知恵も知識もみな神からのものだからです。
● 神はクリスチャンに語られるのです。「わたしはあなたを決して離れず、また、あなたを捨てない。」主はこのような信頼できるお方です。だからこそ、主に感謝しましょう。