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主に感謝せよ
Thank God
by デイヴィッド・カーティス


詩篇 18



なぜ私たちは神に感謝すべきなのか?

詩篇 18:1-3 彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐ ら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。

旧約聖書を読むと、ダビデにはたくさんの敵がいたことが分ります。彼は多くの年月を隠れて過ごしました。その中で最も大きな敵はサウル王でした。こ の詩篇は多くの敵やサウルの手から逃れた後にダビデが書いたものです。神のご性質と神がなしてくださったことのために、ダビデは神への賛美の歌を歌い始め ました。それは 偉大な神に対しての自然な反応でした。ダビデは神を賛美しながら、なぜ神に感謝するのかを最初の3節においていくつかの理由を上げています。そしてそれは 私たちが神を賛美する理由でもあります。

先ず第一に、初めの三節でダビデが何度「私の」ということばを使っているかに注意しましょう。9回使っています。ここでダビデが強調しているのは神 との個人的な関係です。ダビデにとって神はどこか雲のかなたに住み、白く長いひげを持ち、喜ばせなければならない遠い神様というものではありまっせんでし た。そして結局はよく分らないという存在ではなかったのです。ダビデは神との個人的な関係を持っていました。彼がこの関係を持っていた唯一の理由は神がダ ビデに神を知る機会を与えてくださったからです。そしてダビデはこの関係を喜びました。

私たちは神との関係を持つことができることを感謝しているでしょうか?唯一まことの神、天地の造り主、王の王、主の主が天の御座から下り、個人的な 関係を持つ機会を与えてくださることに意味があるでしょうか?私たちの神は遠い神ではなく、共に歩き、私たちに関わり、私たちと住むために聖霊を送られる のです。このような個人的な関係に感謝しているでしょうか?

ダビデの最初のことばは「主、わが力、私は、あなたを慕います。」("I will love You, O LORD, my strength.")です。ダビデは神は自分の力だと言いました。これは神の民がみな学ばなければならないレッスンです。 力も業績も、勝利もすべて私たちによるのではなく、神によるのです。

聖書を通して神がいろいろな状況を使って神の民に神を信頼することを教えておられるのを見ます。あるときは病気であり、あるときは強い敵を通してそ れをされます。神は人々が神の力だけに頼ることに気付かせようとされました。ゼカリヤ書にあるように「自分の権力によらず、自分の能力によらず万軍の主の 霊によって」(ゼカリヤ4:6)を理解させようとされました。

パウロの書いたことに注意しましょう。

2 コリント 12:7-10 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体にひとつのとげを与えられました。それは私が高ぶること のないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は、 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリス トの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじていま す。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

あなたは神があなたの力であることに感謝していますか?すべてのことは自分自身によるのでもなく、自分の能力によるのでもないことを感謝しています か?私たちが弱いときこそ、力をくださる神により頼むときなのです。

ダビデは「私の巌」(The Lord is my rock.")と言いました。この岩という意味は時々岩山を意味します。人 はそこで敵から隠れることができます。私が私の岩の上に立っている限り、なにものも私をとら えることができないのです。あなたはこれを信じるでしょうか?私は信じます。パウロは言います。

ローマ 8:38-39 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかどんな被造物 も、私たちの主キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

私たちが私たちの岩であるイエスキリストに立ち続けるならば、どのような敵も、どのような状況も、私たちをとらえることはできないし、害することは できません。あなたは神があなたの岩であることに感謝しますか?

ダビデはまた神は「とりで」だと言います。西部劇などを見るととりでに逃れるのを見ます。とりでは安全を見出す場所です。敵を寄せ付けないバリ ヤー、堅い壁、防御設備に囲まれたとりでにいるならば安全です。とりでは私たちと敵の間に立ってくれるのです。ダビデは別の詩篇を書いています。

詩篇 125:1-2 主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲ま れる。

私たちの神は私たちと世の間のけっしてゆるぐことのないバリヤーです。

避け所と隠れ家を与えてくれる場所であるとりでを私たちが持っていることに感謝しているでしょうか?神が私たちのとりでであることに感謝しているで しょうか?

とても大切なことをお話ししましょう。岩もとりでも私たちがそこに立つか、そこにとどまらないならば安全も保護も与えてくれません。あなたは神に信 頼 して生きていますか?あるクリスチャンは霊的にも精神的にも苦しんでいます。それは岩の上に立ち、保護の中にとどまることを拒絶しているからです。

ダビデは神は「救い主」("deliverer". )だと言います。何度も何度も神はダビデを救って、解放してくださいました。ゴリアテから、サウルから、ライオンから、ペリシテから、アブネルから、自分 の息子からも助けられました。ダビデは何度も強い敵から解放してくださるように、救い出してくださるように叫びました。そして神はその叫びを聞かれ、彼を 助け出してくださいました。ダビデは書きました。

詩篇 18:18 彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。

私たちの神は解放、救いの神です。旧約聖書のもっともすばらしい出来事はエジプトの奴隷から神の民が解放されたことです。そして神は私たちの解放者 でもあります。クリスチャンであるなら、私たちはダビデやイスラエルのように解放の喜びを経験できるのです。私たちも罪という死をもたらす
力強い敵に直面します。その敵は強すぎます。私たちはこの敵から自分を救い出す方法を持たないように感じます。

ローマ 5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
ローマ 5:8-9 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。で すから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

あなたはこの救い、解放を感謝していますか?

そして神がその民を解放してくださることは決して一度だけの解放では終わりません。神の解放は続くのです。詩篇18篇4〜7節を見ましょう。

詩篇 18:4-7 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めて わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。すると、地はゆるぎ、動いた。また、山々の基も震え、揺れ た。主がお怒りになったのだ。

ここでダビデは敵に飲み込まれてしまいそうなときどれほどその状況が大変であったかを言い表しています。敵に囲まれて希望を失ったことはあるでしょ うか?あなただけがそれを経験しているのではありません。

だれかの親であるなら、自分の子どもがだれかにひどい仕打ちを受けたらどうするでしょうか?子どもが傷つけられ害されたなら、怒るでしょう?血は沸 き、髪の毛は逆立つのではないでしょうか?そしてその相手を捕まえて、「何をしているの。」と言うでしょう。これこそダビデが描写していることです。神の 怒りをダビデがどのように書いているかを見ましょう。

詩篇 18:7-9 すると、地はゆるぎ、動いた。また、山々の基も震 え、揺れた。主がお怒りになったのだ。煙は鼻から立ち上り、その口から出る火はむさぼり食い、炭火は主から燃え上がった。主は、天を押し曲げて降りて来ら れた。暗闇をその足の下にして。

神は天で座ってハミングしておられるのではありません。行動を起こされます。

詩篇 18:10-11 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。主はやみを隠れ家として、回りに置かれた。その仮庵は雨雲の暗闇、濃い雲。

ダビデが描いている絵を想像できますか?神は天を分け、雲を巻き、ケルブにまたがり、風を翼として舞い上がられるのです。それはご自身の子どもたち のためになされます。

詩篇 18:12-16 御前の輝きから、密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と火の炭。主は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。雹、そして火の炭。主は、矢を放っ て散らし、すさまじいいなずまで彼らをかき乱された。こうして、水の底が現われ、地の基があらわにされた。主よ。あなたのとがめ、あなたの鼻の荒いいぶき で。主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられた。

神は天から雷をもって叫ばれます。いなずまをもって敵を散らされます。ダビデが敵が自分になしたことをどのように感じたかを思い出しましょう。彼は 「よみの悲しみが私をおおい、死のわなが私に迫った」と言います。そして詩篇のこの箇所は敵の襲撃の下で描いたものです。ダビデが16節で描いていること を理解できるでしょうか?

詩篇 18:16 主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大 水から引き上げられた。

神は鼻の息でダビデを救い上げられました。

詩篇 18:17 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。

この神が私の救い主であるという描写は何とワクワクすることでしょうか。

あなたの敵があなたを苦しめるとき、神は怒りを表わしてくださることを感謝しているでしょうか?神は今までにその鼻息で敵や状況を吹き飛ばされたこ とを経験したでしょうか?神は力強い御手をもって人生の荒波から引き上げてくださったでしょうか?神があなたの救い主、解放者であることを感謝しますか?

ダビデは3節で神を賛美することをさらに説明しています。そしてどれも安全、守り、解放に関わることです。

詩篇 18:2 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが 岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

私たちの神はすごい方です。この方が私たちの神であることに感謝すべきです。

詩篇 18:28 あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私の闇を照らされます。

暗闇は危険です。ヘッドライトなしで山道を走るなら、道がどうなっているか、何を引いてしまうか決して分りません。また暗闇はひとりなら恐怖を与え ます。

しかし神が私のともしび、ランプであることを感謝します。私はbもはやこの人生を光なしに、暗闇の中を歩み続ける必要がないことを感謝します。人生 の意味が与えられ、自分が何者かが教えられ、どうあるべきなのか、どこに行くべきなのかが分りました。神は大きく私の人生を変えてくださったのです。全能 なる神が私のともしびです。だから、感謝しましょう。

私たちはなぜ神に感謝すべきなのか(私たちの岩、とりで、避け所、解放者、救い主)というリストを一日中繰り返すことができます。自分の生活の中の よいことがらを見ましょう。あなたの家のこと、子どもたち、家族、答えられた祈り、健康、国、教会、喜び、平安、幸せをこころにとめましょう。このような ものは神から来るのです。私たちの神はすごい神であり、この方は「私たちの神」なのです。神に感謝する十分な理由があることに同意されるでしょうか?


This message preached by David B. Curtis on November 18, 2001. Tape #224.


※このメッセージはベレアン・バイブル・チャーチのデイヴィッド・カーティス牧師の許可をいただいて翻訳・掲載して います。無断転載は堅くお断りします。

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