
成功者の条件
谷口 明法
聖書箇所 ネヘミヤ2章20節
● 今年の統計は分かりませんが、昨年2001年の正月三が日の初詣の人出は8814万人だったそうです。日本の人口が1億2500万人ですから、正月こそはと日頃、神社仏閣に行かない人たちが行っているということが分かります。
● どのようなことをお願いに行っているのでしょうか?インターネットで、調べてみると、神社のご利益欄には、「商売繁盛、厄除け、縁結び、健康祈願、交通安全、合格祈願、学業成就、家内安全、勝運、開運」と書かれています。
● すべての人は、人生をうまくやりたい、成功したいと願っているのでしょう。しかし、興味深いことに、このようなご利益のどれを見ても、心が清くなるとか、正しいものになるとか、心の問題を取り扱っている、倫理的、道徳的な部分がひとつもありません。
● すなわち、宗教といっても、みな人間中心、自己中心であるということです。人間は自分に都合のいい神様であったなら、神を信じ、お参りに行ったりするのです。
● しかし、聖書の信仰はそのような信仰ではないし、聖書の神はそのようなたぐいの神様ではないのです。
● しかし、人はみな成功したいと願っています。また、聖書は成功してはいけないとも語っていません。それどころか人生の成功者、勝利者となれと勧めているのです。ただ他の教えや宗教とは違った方法で勝利者、成功者になるということを教え、勧めているのです。
● それでは、ネヘミヤ2章20節を読みましょう。
● ネヘミヤは捕囚でバビロンへ連れて行かれたユダヤ人です。彼はバビロン王国に取って代わったペルシャの王アルタシャスタに仕えていました。彼は献酌官でした。奴隷が異国の王様の仕事に取り入れてもらえたということ自体が聖書の神がネヘミヤを祝福しておられたことが分かります。
● さて、アルタシャスタ王の治世の第20年のニサンの月、今でいうと3〜4月頃のある日、王様が食事の席についているときに、いつものようにネヘミヤは王の毒見役として、王様のそばにいました。楽しい食事の席ですから、毒見訳が悲しそうな顔つきをしていては、王様が不機嫌になり、ネヘミヤの命も危なくなります。しかし、彼はそれを知りながらも、その場を取り繕うことのできないほど、自分の国の状態を聞き、悲しんでいたことが分かります。
● さて、ここでも聖書の神はネヘミヤに奇跡を与えられます。本当ならば、王様の逆鱗、恐ろしい怒りに触れるはずなのに、王様はネヘミヤを気遣い、願いを聞いてあげたのです。
● ネヘミヤは愛する母国の城壁が無残な状態であることうぇお聞いていましたから、そのことを王様に告げ、再建の許可をもらうことができたのです。ここでまた奇跡が起こっています。私たちは普通に聖書を読めば、読み流してしまうでしょうが、淡々と書かれている出来事の中に、聖書の神の奇跡が連続していることが分かります。
● さて、ネヘミヤのことばから聖書的成功者の条件を学びましょう。
ネヘミヤは20節で、「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。」と言いました。
(1) 成功のスタートは天の神・イエスキリストだ
● ネヘミヤはこの後、エルサレムの城壁の再建に取り掛かります。それは、ペルシャの王アルタシャスタのお墨付きがあったからです。もしペルシャの王が再建を許してくれなければ、再建の願いは失敗に終わっていたのです。
● 表面的にはペルシャの王がそのプロジェクトを認め、ゴーサインを出したのですが、見えない世界では、天の神、聖書の神がゴーサインを出しておられたのです。王がスタートしたならば、だれもそれを止めることができません。ペルシャの王より力のある天地の王イエスキリストのゴーサインでスタートしたのですから、このネヘミヤのプロジェクトは失敗しないのです。
● 同じように、あなたがもし人生において成功したいなら、神があなたに願っておられることを知ることが大切です。そしてそれは聖書を学ぶことから始まります。
(2) 成功はするものではなく、させてもらうものだ
● 第二に学ぶことは、成功は自分でするものではないということです。ネヘミヤは「成功させてくださる。」と告白しました。
● ここで、私の大好きな映画である「炎のランナー」の話をまた持ち出しましょう。映画「炎のランナー」には対照的なふたりのランナーが出てきます。エリック・リデルとハロルド・エイブラムです。彼らは同じようにとてもすぐれたランナーですが、エリックは神が私を早く走るように造られたので走るのだと理解している人でした。ですから、彼の練習は野山を走るというとても野性的なものでした。一方ハロルドは自分の道は自分で切り開くのだと考える人でした。自分以外に誰に頼れるだろうかという考えの持ち主でした。ですからハロルドは機械的な練習を重ねます。しかし、彼にはいつも不安がつきまとってくるのです。ここにエリックとハロルドの大きな違いを見せ付けられます。この物語はエリックかハロルドかの対決の結末ではないのですが、ふたりのコントラストが明らかに「成功する」と「成功させられる」の違いに現れています。キリストを信じる者はエリックのように、安心して成功の道を歩んでいくことができるのです。
● ネヘミヤが城壁再建の成功を信じているのも「成功しなければならない」ではなく、「成功させていただけるのだ」という確信に立っていたからに違いないのです。
● さて、ここで疑問が起こってきます。聖書の神がキリストが成 功させてくださるのなら、私たちはただ受身でいいのかということです。いいえ、そではありあせん。そこで、最後のポイントを学びましょう。
(3) 成功を実現するのはキリストのしもべの私たちだ
● ネヘミヤは20節で「だから、そのしもべである私たちは再建にとりかかろう。」と言いました。再建に取り掛かる、実際に動き、成功するのは私たちキリストの僕だということです。
● スタートは天の神だ、この方が成功させてくださるのだ、だから私たちが行動し、成功するのだということです。始めの2つのポイントの主語は天の神、イエスキリストですが、第3のポイントは「私たち」なのです。
● 聖書はこの世界は罪の世界だと言っています。罪の世界は自己中心の世界です。自分の成功のために神をも使う世界です。初めから最後まで自分が、私が主語の世界です。しかし、聖書の世界、本当の成功の世界は最後に私たちが来る世界です。
● この世界に生きるならば私たちは、必ず人生の成功者となります。
● もちろん神が始められたことも決して反対や妨げがないということではありません。ネヘミヤはたくさんの反対や妨げを経験しました。私たちの側で失敗がないということでもありません。
● しかし、エドゥン・コールが言った「勝利者とは一度も人生につまずいたおとのない人ではなく、人生を投げ出さなかった人のことです。」は正しいのです。
● 長い人生の中で、キリストを信じ、キリストから与えられたミッションに、仕事に生きる人には必ず成功と勝利が約束されています。