そうですか。それでは、
サンドリン牧師は2テサロニケ1章8節を「私たちが歴史の中でこれがまだ起こっていないと知っている」ので、私たちにとってまだ未来のこととして理解し、
またそれが起こったと信じているなら、その人は「異端」であるに違いないというのですね。私の質問はこれです。それでは、サンドリン師はどうしてC・ジョ
ナサ
ン・セライアの本、「すべてのことがらの終わり:未来を擁護する?」(The End
of All Things, A Defense of the Future ? )を支持したのですか?その本の裏表紙でサンドリン師は以
下のように書いています。
このことの成就が近づいて
いることは
はっきりと支持されています。欽定訳の「裁かれる方(‘who shall judge)」ではなく、「まもなく裁かれる方(who is
about to judge)」です。このような一箇所でパルーシアの時が近かったということに関しての疑問に解決を与えることに十分で
しょう。しかし、一箇所だけの代わりに、私たちはこの主題に関しての全新約聖書の首尾一貫した考えを持っています。この件にかんして使徒たちは間違ってい
たと言う人々はどこが霊感されていないか、どこが霊感されているのかの区別をする明確な才能を持たなければなりません。もし聖パウロが霊感を受けて「裁
く」と書いたなら、どうして同じように「まもなく」と書いたことが霊感されていなかったということがあり得るでしょうか?」 (The
Parousia, p.262)