未来主義2(後千年王国説)

● キリスト教にはいろいろな教義がありますが、その中で終わりの出来事を扱うことを「終末論」、英語でエスカトロジーと言います。英語のエスカトロジーということばはギリシャ語の「エスカトス」、日本語では、「最後」ということばと「ロギア」、日本語の「ことば、講話」の合成語で、終わりの出来事の研究という意味になります。

● 終末論には人間の死という個人の終末論というものもありますが、私たちが学んでいるのは歴史における終末論です。終末論ということばを聞くと、何か未来の出来事のように先のことばかりを考えますが、実は終末論、また未来観は「今、現在」の行き方を決める重要な要因でもあるのです。

● 先週も学びましたが、ディスペンセーション神学という考えに立つ、キリストの再臨は千年王国の前であるとする前千年王国説を信じる人たちは、キリストの再臨はもうすぐだ(後何年もない)と言います。先日も預言のミニストリーをする団体から送られてきたセミナーのタイトルは「1159」でした。ミッドナイト(キリストの再臨の時)までは後一分の午後11時59分の時代にいるという考えです。このような考えを持っている人が、何十年、何百年の単位で日本に、世界に影響を与えていこうと考えるでしょうか。それよりも、ひとりでも天国に行く人を増やすために、伝道だけが大切だと考えます。(もちろん伝道を否定しているのではない、私は開拓伝道者です。)社会を変えようという、政治に関わろうと言う、教育に携わろうとする考えはなくなっていくのです。このようなメンタリティーを表すことばに、「沈み行くタイタニック号の真鍮を磨いても意味がない。」というものがあります。世界は、歴史は沈み行くタイタニック号なので、タイタニック号を何とかするよりも、人を救えと考えるのです。しかし、世界は、歴史はタイタニック号ではありません。

● 前回は旧約聖書から私たちの持つべき終末論、未来観は「後千年王国説」であると学びました。しかし、新約聖書はそのように教えているのでしょうか?イエスもまた歴史の終末は大変な出来事が起こると教えられたのではないでしょうかと言われるかもしれません。そのように考えられる人はマタイ24章のイエスの教えを頭に描いておられることでしょう。それでは、マタイ24章を学んでみましょう。

● さて、聖書に入る前に聖書解釈の基本をもう一度確認しておきます。聖書は文字通り、字義的に解釈するものではなく、「聖書は聖書によって解釈する。」ものであるということです。新聞を用いて聖書を解釈してはいけません。コンピュータを用いて聖書を解釈してもいけません。その他どのような文献も聖書解釈の基本ではないのです。

● マタイ24章1〜34節までを読みましょう。

(1) イエスの預言は、歴史の終わりではなく、紀元70年の出来事

● 前千年王国説の人々は、私たちがイエスの預言の成就の時代に生きていると考えています。もし、そうであるなら、イエスが目の前にして話された人々にとってイエスの預言の意味は何だったのでしょうか?このことを考えるのはイエスの預言を理解するのにとても大切です。イエスの預言は明らかに、目の前の弟子たちに対してなされた、しばらくすれば起こる出来事でした。

● マタイ24章1、2節のイエスへの弟子たちの質問は、23章で語られたイエスのことばに呼応するものです。それで弟子たちはいつそのようなことが起こるのですか?と尋ねたのです。また、イエスはその質問に対して4節で「彼ら(弟子たち)」に答えられたのです。25節にも「あなたがたに」、33節にも「あなたがたは」、34節にも「あなたがたに告げます。」というように目の前の弟子たちに語りかけておられるのです。すなわち彼らに関係ない2000年近くも経つある出来事について預言されたのではなく、まさしく彼らに関係のある出来事が起こることを話されたのです。

(2)御国の福音は全世界に宣べ伝えられたのか?

● 「しかし」とマタイ24章を読んだ人なら言うでしょう。なぜなら、14節には「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終わりの日が来ます。」とあるからです。私たちは、「私たちの」常識から考えます。紀元70年までに「全世界」に福音が伝えられたなんて冗談じゃないと。すべての国民に福音があかしされたなんて冗談じゃないと。

● マタイ24章を読む前に、聖書解釈の基本を確認した理由がここにあります。私たちの常識と聖書の常識とどちらを選ぶかという問題が、聖書解釈の問題なのです。

● 結論から言いましょう。イエスが預言されたように、御国の福音は紀元70年までに「全世界」に宣べ伝えられたのです。ただ、「全世界」と言っても、私たちが現在考えている世界ではないのです。ですから聖書をもってこの聖書の中に用いられていることばを見なければなりません。

● 新改訳聖書をお持ちの方は、欄外注をご覧いただきたいと思います。14節の「全世界」の「世界」のところに米印がついています。欄外を見ると、「直訳『人の住む地』」と記しています。さらに、「全世界」のところに「2」」と数字がついていますが、欄外注を見ると、「ルカ2:1」とあります。そこで、ルカ2章1節を開いてみましょう。

● 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。」とあります。この箇所を読む人はだれも、ローマ皇帝アウグストは日本、アメリカ、オーストラリアなどを含んだ全世界の住民登録をせよと命じたとは考えないでしょう。もちろん、「全世界」とは「ローマ帝国」のことだと考えます。それでは、どうしてマタイ24章14節の「全世界」は日本、アメリカなどを含む、私たち現代人が考える全世界でなければならないのでしょうか?いえ、イエスは当時の「全世界」を預言の時に考えておられたのです。

● それでも、本当に紀元70年までに御国の福音はローマ帝国中に伝えられたのでしょうか?続けて聖書は聖書によっての解釈法によって聖書を読みましょう。

● 使徒行伝2章5節では、ペンテコステの出来事にあらゆる国から来たユダヤ人たちが遭遇したことを語っています。パウロはローマ1章8節で、「私はイエスキリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」と言いました。さらに、ピリピ1章6節で、「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。」と語りました。

● 同じピリピ1章の23節では、「この福音は、天下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。」と福音が天下のすべての造られたものに伝えられたことをパウロははっきりと聖書で述べているのです。

(3) 天の万象は揺り動かされたのか?

● 以上の説明で14節は納得がいったという人は多いでしょう。しかし、マタイ24章をしっかりと読んだ人ならまだまだ疑問は出てくるでしょう。29〜31節はどうなるのでしょうか?紀元70年に太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ちましたか?このような質問をする人には逆に私の方から質問をしましょう。

● イザヤ13章を開きましょう。ここにはバビロンへの宣告が書かれています。9、10節には「見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。」とあります。さて、オリオン座は光を放たなくなったのでしょうか?太陽が日の出から暗く、月も光を放たなくなったのでしょうか?

● 続いてイザヤ34章を見ましょう。ここにはエドムへの裁きが書かれています。

● 4,5節「天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる。その万象は枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ。これがエドムの上に下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。」

● さて、このことは文字通り起こったのでしょうか?いつ天が巻物のようにその通りにまかれたのでしょうか?今、巻かれていない天を見る時、いつ元通りになったのでしょうか?

● イザヤばかりではありません。エゼキエルも同じことばを用いています。エゼキエル32章にあるエジプトへの裁きの宣告です。7,8節は同じように天の万象の出来事が書かれています。

● さて、元の話題に戻りましょう。マタイ24章29節以降は、文字通りに起こる出来事なのでしょうか。いえ、旧約の預言者たちは象徴的ことばを用いたのです。神の国々への裁きを象徴的に表したのです。象徴に込められた出来事は、その通り起こりました。イエスもイスラエルへの神の裁きを旧約の預言者にならって預言されたのです。その出来事は紀元70年の神殿の崩壊、エルサレム崩壊により神の裁きの現われとして成就しました。

(4)最悪は過ぎ去った!

● イエスは34節で、「これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」と言われました。そして、まさにイエスの言われたことが「この時代」の人々に起こり、成就し、イエスの言われた「この時代」は過ぎ去ったのです。最悪は過ぎ去りました!古い時代は過ぎ、新しい時代が開いたのです。神殿が神を礼拝する場所ではなくなりました。クリスチャンこそ神の宮、神殿となったのです。私たちはどこででも自由に、霊とまことをもって神を礼拝できるようになりました。

● 神の国は近づいたのではなく、神の国が来たのです。ですから、私たちは主の再臨まで聖霊の力と励ましをいただき、聖書のことばを生活と人生のすべての領域に適応して生きていくのです。

● 前千年王国説の人々は世の中がますます悪くなると言います。ですから、冒頭で言いましたように、「1159」というような集会が開かれるのです。しかし、現在はミッドナイト1分前ではありません。

● 「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」(箴言4章18節)

● 私たちはミッドナイト直前に生きる者たちではなく、真昼に向かって明るさを増していく時代に生きているのです。これこそ、後千年王国説、聖書的終末論、未来観なのです。

谷口 明法


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