未来主義(後千年王国説)

● 私たちは聖書主義者であることを学びました。それは聖書以外の書物を読んではならないというのではなく、聖書は誤りなき神のことばであるために、究極、また最終の権威と認めることであると学びました。

● 17世紀に作られたウエストミンスター信仰基準も、聖書主義のゆえに、第一章を聖書という項目からは始めています。この第一章の4には、「聖書がそのため信じられ服従されねばならないところの聖書の権威は、どのような人間や教会の証言にもよらず、(真理そのものであり)その著者であられる神に、全くよっている。従って聖書は、神のみことばであるという理由から、受け入れなければならない。」と書かれています。

● 多くの人々が、聖書の権威を認めることができません。しかし、それは聖書以外のどこかに権威をおいているからです。聖書の権威を認めない人々は、聖書ではない別のものに権威をおいているだけの問題です。しかし、私たちは聖書に権威を認めます。なぜなら、聖書がそのように語るから、聖書自体の証言を信じるからです。そしてそれは聖書を与えてくださった神の権威を認めることなのです。

● さて、今日学ぼうとするポイントは未来主義です。

● 今日多くの教会が、またクリスチャンが世の終わりは近い、主の再臨は近いといいます。先日も「レフトビハインド」というアメリカのベストセラー小説が翻訳され売り出されました。これはディスペンセーション神学の終末預言解釈から生まれてきた小説です。たぶん日本でもこれからかなり読まれるようになるでしょうし、みなさんも勧められたり、再臨や世の終わりということを耳にするようになるでしょう。

● 彼らの解釈は、「主イエスの再臨の前に、世界はどんどん悪くなり、ますます混乱していく。主は7年の大艱難が起こる前に、空中再臨し、クリスチャンたちを携挙される(引き上げられる)。その中で地上は世界を統一しようとする反キリストが現れ、7年間の大艱難が起こる。そして7年の後、キリストは地上再臨され、世界最終戦争、ハルマゲドンの戦いがあり、キリストは反キリストの悪の勢力を打ち破り1000年間の地上でのキリストの支配が始まる。」というものです。

● そして今の時代はそのような出来事に歴史的に最も近い時代であると考えるのがディスペンセーション神学です。またこのような終末論を前年王国説といいます。千年王国の前にキリストが再臨されるという意味です。 ● しかし、私たちは違う信仰に立ちます。先ほど、主の再臨は千年王国の前であるとする考えが前千年王国説であると言いましたが、主の再臨は千年王国の後であると考える説、すなわち後千年王国説に立ちます。

● それでは、後千年王国説というのはどのようなものでしょうか?ケネス・ジェントリーという牧師は次のように言いました。「後千年王国説とは、メシアの王国は主イエスキリストの地上での働きの間に、旧約聖書の預言の成就としてのあがないの御業を通して、建設されたと理解する終末論である。キリストの王国の性質は本質的に贖罪的で、霊的である。人々がよりいっそうキリストに導かれることによって、歴史の中で社会的・文化的な影響と変革をもたらすものである。後千年王国説は大宣教命令の成就によって、世界中に福音の勝利がもたらされる時が来ることを確信を持って期待している。福音による繁栄の長い期間があった後、地上の歴史は、キリストの目に見える再臨によって終わりを迎える。」

● 前千年王国説は、これからの近い将来はどんどん悪くなり、間もなくキリストは来られると教え、後千年王国説は、これからは福音の勝利がもたらされ、今後キリスト教はますます世界に祝福をもたらすと教えます。

● なぜ後千年王国説を信じるのかを聖書から学びましょう。

● (1)十戒は後千年王国説的である。

出エジプト記20章を読むと十戒が書かれています。第二戒の最後である6節には、「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」とあります。千代とは何年ぐらいでしょうか、聖書の一世代は約40年ですから40×1000で、4万年という計算になります。

● 何百年、何千年という祝福を私たちはまだ見ていません。ですから、神の約束が成就されるために、歴史はまだまだあるということです。現代のクリスチャンは一世代だけのリバイバルを叫び、すぐに主の再臨を待っています。しかし、聖書的には何世代お継続する主の祝福、リバイバルを祈り、期待しなければなりません。そのためにも私たちの持つ未来観は後千年王国説でなければなりません。

● (2)詩篇に見る後千年王国説

詩篇は聖書の中で最も勝利に動機付けられた箇所です。その中でも新約聖書に最も頻繁に引用されている箇所が、詩篇110編です。1,2節を読みましょう。

● 主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」

● ここにはキリストの再臨のタイミングが書かれています。主キリストは主なる父なる神の右の座におられます。いつその右の座を離れてられるのでしょうか?詩篇110篇はキリストの敵がその足台となるまでと言っておられます。前千年王国説の人々はキリストが再臨されて敵をご自身の足の下にされると教えますが、詩篇110篇はそのように教えません。敵を足台にするまでは天にとどまられると書いてあるのです。それでは、キリストが天にとどまったまま、どのように敵を倒すのでしょうか。それは2節に書かれている通りです。キリストはご自身の力強い杖を、聖なる都シオン、すなわち霊的なイスラエル、キリストの花嫁なる教会、すなわちクリスチャンを通して敵を治めるといわれるのです。ですから、現代のまだまだ弱弱しい教会の様子を見るのに、主キリストはまだまだ戻って来られません。キリストは私たちを強め、用いて敵を足台とする計画を歴史にお立てになったのです。

● (3)預言者ダニエルに見る後千年王国説

  

終末預言を学ぶ人々は必ずダニエル書を学びます。前千年王国説の人々は7章13、14節の「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権を光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」という箇所を読んで、キリストが雲に乗って再臨され、王国を始められると言いますが、ここを良く読むとそうは言っていません。前千年王国説の人々は雲に乗って行く方向を間違ってとっています。聖書は人の子のような方、すなわちキリストが天の雲に乗って、年を経た方、すなわち天の父のもとに進み、父の前に導かれた、すなわち天に行かれた、それによってキリストに主権と光栄と国が与えられ、すなわち王となられ、王国を建設されたと預言しているのです。

● このようにダニエルも地上での御業を終えて、天に帰られたイエスキリストが王国を建てられて、現在支配しておられるということを教えています。

● このように、聖書は後千年王国説を教えているのです。しかし、新約聖書はどうなんでしょうか?はっきりと世の終わりの時の描写をしている箇所があるじゃないですか?と尋ねられるかもしれません。特に、マタイ24章はキリストの終末預言ではないのでしょうか?マタイ24章を見ましょう。

● 3節に弟子たちは、イエスさまに「お話ください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりにはどのような前兆があるのでしょう。」と世の終わりのことを弟子たちは聞いているし、それにイエスさまは答えているではないかと言われるでしょう。しかし、これは私たちが考えている歴史の終わり、時の終わりではありません。これは紀元70年に起こったエルサレム崩壊、そしてそれに伴う古い契約の時代の終わりの預言だったのです。

● 聖書には第一読者がおり、その人たちに向けて書かれていることを見落としてはならないのです。

● しかし、イエスさまは太陽が暗くなったり、月が光を放たなくなったり、星は天から落ちてくるという宇宙的な出来事を預言しておられるし、これは今までに起こっていないと言われるでしょう。しかし、聖書解釈の原則に私たちは戻らなければなりません。旧約聖書を読むと、国々の没落と崩壊が宇宙的な出来事のようにたとえられているのです。

● イザヤ34章4,5節だけでも例としては十分でしょう。

● 聖書解釈の大原則、「聖書は聖書によって解釈する」を怠ると、レフトビハインドのような小説が生まれて来、多くの人々が間違った聖書解釈のとりこになってしまいます。

● さて、キリストは大宣教命令を与えてくださいました。私たちの未来には福音の勝利が待っているのです。キリストは私たちを用いて敵を足台とされるのです。この後千年王国説という未来観を持つクリスチャンこそが、時間と歴史を主なるキリストのために有効に用いることができ、神の栄光を現すことができるのです。

● 私たちは希望に満ちた未来主義者、後千年王国主義者として勝利から勝利へと日々を歩ませていただきましょう。

谷口明法


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