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第3特質:特定的贖い(又は限定的贖罪)
このカルヴィン主義の第三特質は、カルヴィン主義の五特質の中心的教理であるのみならず、福音の核心でもある。すなわち、キリストの十字架上の死に関する教理である。キリストの十字架上の死は偶然の事件では決してなかったのである。アルミニウス主義者らの攻撃に対して、プロテスタント宗教改革の基盤となった真理を守るために戦った神学者達は、救いの核心となっている事柄を、聖書に基づく論理に裏付けられたカルヴィン主義の第三特質としてまとめあげたのである。
救済論において先ずなされる問いは「一体、誰が救われなければならないのか?」という問いである。答えは「人間」である。ところで、聖書は人間について、「生まれつきの人間は自己の救いに関して全く無能力であり、それ故、人間は自分自身を救うことが全く出来ない。」と教えている。これが聖書の人間に関して教えるところのカルヴィン主義の第一特質、すなわち「全的堕落・無能力」の教理である。次に、ある人々が救われることは疑いようのないことである。このことは、神御自身が全ての人間のうちよりこの人々を選び、救い給うということに外ならない。これが「選び」である。「神の選びの御旨は動かず・・・」(ローマ9:11)
ただ、「選び」はスポルジョンの言うように「救いが与えられる人につけられる印」である。それ故、救いに選ばれた人々の罪のための、完全かつ十分な贖いがなされなければならないのである。この罪の贖いがなされることによって、神は、救いだけを施す神としてではなく、「義を行い、救いを施す神」であられるのである。
この贖いは、十字架上の死に至るまでの、父なる神の御心に対するキリスト御自身自らの服従によって達成されたのである。十字架においてキリストは、義なる神の正義のために苦しみを受けられた。神は、「救いを施し給う神」として救いを聖定し給うた。その救いをキリストは確保し給うたのである。
ここで一つの問題が生ずる。それはつまり、「キリストは、一体誰の受けるべき刑罰を受け給うたのか?」ということである。この問いに対する解答に際し、三つの立場がある。
(1)キリストは全ての人(一人の例外もなくを救うために死に給うた。
(2)キリストは特定のいかなる人を救う為にも死に給わなかった。
(3)キリストは定められた人数の特定の人々を救うために死に給うた。
第一番目の立場は万人救済説と呼ばれているものであり、「キリストは全ての人を救うために死に給うた故、当然の論理的帰結として、全ての人が救われる」とするのである。すなわち「キリストは全ての人の罪の代価を支払い、全てのの人を贖い、御自身の生命を全ての人に与え給うた故、すべての人が救われる」とする見解を、この万人救済説はとるのである。第二番目の立場は、アルミニウス主義のとる立場である。すなわち、「キリストの十字架上の死は全ての人に救いの可能性をもたらしたにすぎないのであり、キリストの十字架上の死によって、全ての人の罪の価が支払われたものの、キリストの贖罪は誰の救いをも確保しなかった。キリストの十字架上の贖罪の御業は、人間が自らの力で信仰を持つための”決断”を行った時に始めて有効となり、その結果として”決断”を行った人間は救われる。」と主張するのである。
第三番目の立場はカルヴィン主義のとる立場である。すなわちそれは次のようなものである。父なる神は、御自身の特別な愛による無条件的選びによって、地獄の永遠の滅びの刑罰を受けるべきであった特定の数の罪人達を救いに選び給うた。そして、キリストは御自身の死によって、この選ばれた罪人達を確実にそして有効に救い給うた。御子キリストは、この救いに選ばれた者達の罪の代価を支払い、この者達を贖い給うた。そしてキリストは父なる神の義を全うし、御自身の義を、この贖われた者達に転嫁し給うた。かくして、このようにキリストの義を転嫁された者達は、キリストにあって完全な者とされている。
従って、キリストの死の理由・目的は次にあげる三つのうちのただ一つということになるのである。すなわち、キリストの死は次のうちの一つのためであった。
(1)全ての人を救うため、
(2)特定のいかなる人を救うためでもなく、
(3)定められた人数の特定の人々を救うため。
このうちの第三番目の見解こそ、カルヴィン主義の説く、すなわち聖書の説くところの、制限的贖罪または特定的贖いと呼ばれている教理である。すなわち、キリストは定められた人数の特定の罪人たちのために死に給うた。この人々は「世のはじめの前よりキリストの中に選ばれた人々」であり(エペソ1:4)、「父なる神が子たる神キリストに世の中から選び出し、与えたもうた人々」である(ヨハネ17:9)。そして、この人々のためにキリストが御自分の血を注がれると宣言したもうたのである。「これは契約の血なり、多くの人のために罪のゆるしを得させんとて流す所のものなり。」(マタイ26:28)
この第三特質の立場、すなわちカルヴィン主義の第三特質である特定的贖いの教理のみが、キリストがこの地上に来られ、十字架上において死に給うたことの意味を正しく捕らえているのである。「汝その名をイエスと名づくべし。己が民をその罪より救う給う故なり。」(マタイ1:21)ここにある「己が(御自分の)民」とは全てのユダヤ人のことではない。なぜなら、ユダヤ国民であるからという理由で彼らが救われることはあり得ないのは、明らかなことだからである。キリストは教会を愛し、教会のために御自身を捨て給うた。(エペソ5:25)「主は汝らの罪のために渡され、我らの義とせられんために、甦らせられ給えるなり。」(ローマ4:25)聖霊は誰のことをさして「我ら」という言葉を用いておられるのだろうか?この「我ら」という言葉は全世界のことをさしているのだろか?もしそうなのであれば万人救済説は正しいことになる。すなわちキリストは「全世界」の罪のために渡され、「全世界」が義とせられるために甦らせられ給うたということになる。従って、「全世界」は神の御前に義とされることになる。しかしこれは正しくない。「全世界」は救われない。(Uテサロニケ1:7〜9、マタイ25:31〜46、ヨハネ17章等を参照)
キリストが御自身を捧げ給うた教会すなわちキリストにある全ての人のみが、永遠の生命をキリストにあって与えられるのである。それは、キリストにある全ての人のためだけにこそ、キリストは御自身を、捧げ給うたからである。
旧約聖書にもこの真理は教えられている。「わが義しき僕はその知識によりて、多くの人を義とし、又彼らの不義を負わん。」(イザヤ53:11)主が十字架にかかられ贖いの御業を成し遂げ給うた時のことを、預言者イザヤはイザヤ53章に書き記している。「(主は)己が魂の激しい苦しみを見て満足し給う。」我らの罪のための宥めの供え物として、キリストは御自身の命を死に明け渡し給うたのである。このことによって、主は我らを、子とし給うた。そして主の御名は崇められ、主は御自身の御業に満足し給う。
聖書の中には「世」という言葉が使われている箇所が幾つかある。そして多くの者が、この「世」という言葉が使われている箇所を持ちだしてきて「特定的贖いの教理」に反論を企てようとしていることを、我らは見すごす訳にはいかないのである。しかし聖書の色々な箇所を比較・検討するならば、「世」という言葉が「世のすべての男女」ということを意味していないことが明らかになるのである。パリサイ人らが「見なさい、世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。」(ヨハネ12:19)とイエスのまわりの群集について語った時、全ての人がイエスのあとに、つき従っていた訳ではなかった。聖書では、「世」という言葉が「全ての種類の人々」、すなわち「ユダヤ人のみならず、異邦人も・・・」という意味で使われているのである。
究極的に最も重要かつ決定的となる命題は、神の御意思と聖定に関するものなのである。すなわち、「神は、全ての人を救おうと定めておられるのか、そうではないのか」ということである。もし、神の御意志が「一人の例外もなく全ての人を救い給うことではなく、救いに聖定された者達のみを救い給うこと」なのであるならば、十字架におけるキリストの御業は栄光ある偉業であり、我々は、「父の我に賜う者は皆我に来たらん・・・」(ヨハネ6:37)の御言葉が真実であることを信じることが出来るのである。
しかし、もし、「全世界の全ての人を救うこと」が神の御意志であるとしたならば、キリストの贖罪は大いなる失敗であったということになる。なぜなら、既に、おびただしい数の人間が救われずに終わってしまっているからである。キリストは我々の罪の代価を支払い給うた。誰の罪の代価をか?世の全ての者の罪の代価なのか?それとも救いに定められた人々の罪の代価をなのか?それは、もちろん無条件的選びによって救いに聖定された人々の罪の代価をキリストは支払い給うたのである。救いに定められた人は、贖い主によって贖われたのである。つまり、律法を犯した、この人々が受けるべき刑罰を、契約の保証となられた贖い主イエスキリストが身代わりとなって受け、この人々を贖い給うたのである。
汝は我が罪の赦しを確保し給えり、
全き恵みによりて汝は我に代わりて、
神の御怒りの刑罰を受け給えり。
契約の保証となり給うた我らの主の
血しおしたたる御手により
我が罪の代価を受け給いし神は、
再び我に、我が罪の代価を求め給う事なし。
序言
はじめに
第2特質:無条件的選び
第3特質:特定的贖い(叉は限定的贖罪)
第4特質:不可抗的恩恵(聖霊の有効的召命)
第5特質:聖徒の堅忍と保持
結論
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