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スタディー・ブック1
プレテリズム緒論(An
Introduction to Preterism)
by ロデリック・エドワーズ
はじめに
プレテリズム(過去派解釈)とは、過去に成就したこととして聖書の「終わりの時」を研究し、理解するという意味のしゃれた神学用語です。まるでこの用語は
キリスト教には馴染みがないというので、躓きを覚えるかもしれません。しかし、私たちはある概念を簡素化するために毎日の生活の中でも用語を用いたり、ラ
ベルをはる(例えば、プロテスタント、カルヴィン主義、反ペラギウス主義など)ことがあるのを忘れないでおきましょう。どうぞ、このような用語のために学
びが妨げられることがありませんように。
あなたの終末論の理解は
はじめに、自分が現在持っている先入観を示すことからこのレッスンをスタートしたいと思います。どうぞ、続く質問に答えてください。この時点では、正しい
答え、間違った答えというのはありません。
質問1
大宣教命令(福音がすべての国々に宣べ伝えられること)は成就しましたか? (はい いいえ)
質問2
肉体の死を迎えたらすぐにクリスチャンは天国に行きますか? (はい いいえ)
質問3
サタンは現在世界を支配していますか? (はい いいえ)
質問4
イエスは現在、父なる神の右の座に着いておられますか? (はい いいえ)
もしグループで学びをしているなら、順番に答えを分かち合いましょう。答えを分かち合うだけで、議論を始めてはいけません。
それでは、ひとつひとつの質問と回答を順番に取り扱っていきましょう。
質問1
大宣教命令(福音がすべての国々に宣べ伝えられること)は成就しましたか?
「いいえ」と答えた人はその理由と、それを支持する聖書箇所を分かち合ってください。(私たちがこのことをするのは、単にひとりひとりがどの立場にいるの
かを
理解しようとするためです。どうぞ答えに関して防御的にならないでください。)
それでは、福音は確かに世界のすべての国々に宣べ伝えられたことを主張するプレテリズムを支持するいくつかの聖書箇所を見ましょう。その前に大宣教命令が
ある聖書箇所を上げておきましょう。
マタイ24章14節
そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。
マタイ28章19、20節
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
順番に以下の聖書箇所を読んで見ましょう。
コロサイ1章5,6節
コロサイ1章23節
ローマ1章8節
ローマ16章25、26節
上記の箇所を読むことによって、答えを変えた人はおられるでしょうか?「世界」ということばのユダヤ人の定義と今日私たちが用いている定義は同じではない
ことを忘れないでいましょう。ユダヤ人にとっては単に知られているすべての地域、または皇帝アウグストが税金を取り立てるというようなある支配の下にある
地域(ルカ2章1節)・・・すなわちローマ帝国のことです。
質問2
肉体の死を迎えたらすぐにクリスチャンは天国に行きますか?
「はい」と答えた人はその理由と、その結論に至った聖書箇所を分かち合ってください。
「はい」と答えた人(たぶんすべての人ではないかと思います。)に対するもうひとつの質問は、聖書的な意味での「終わりの日」はもう終わりましたか?
以下の聖書箇所を開いてみましょう。
ヨハネ6章39、40節
ヨハネ6章44節
ヨハネ6章54節
さて、もう一度お尋ねします。終わりの日は来ましたか?もしまだなら、どのようにして人は「よみがえらされる」のでしょうか、または天国に行くのでしょう
か?もし終わりの日がまだ来ていないなら、肉体の死後に天国に行くと主張することは矛盾することなのです。
プレテリズムは終わりの日は来た(起こった)と強く主張します。もう一度だれかにマタイ24章14節とマタイ28章19,20節を読んでもらいましょう。
イエスが終わりについて何と言っておられるかに注意しましょう。イエスはいつの時代のことを言っておられるのでしょうか?プレテリストは世の終わりとは、
神殿とその神殿に関連する古いユダヤ人のシステムの終わりだと考えます。そしてイエスは新しい契約の時代を建てられました。ですから、終わりの日とは旧約
の終わりなのです。
ですから、その終わりの時以来すべてのクリスチャンは死後すぐに主とともにいるようになります。
質問3
サタンは現在世界を支配していますか?
「はい」と答えた人は、その理由を分かち合いましょう。
「はい」という答えの明快に支持できるのは、今も罪は世界に存在することが明らかだからです。しかし神はいつどこで、すべての罪を根絶すると言われたで
しょうか?事実、聖書は罪が神の国の外側に存在し続けるとを明確にしているようです。
黙示録22章14、15節を読みましょう。
ここには、新しいエルサレムで人々がキリストと共に住むという福音の目的の最終結果が描写されています。しかしながら、その門の外側にはまだ存続するもの
に気付くでしょう。さて、ここで永遠の裁きがないと言っているのではありません。罪は聖なる都の外側に存在し続けると言っているだけなのです。
後ほど、詳しく新しいエルサレムを見たいと思いますが、ここではプレテリストはすべてのクリスチャンが現在新しいエルサレムの内側に住んでいると信じてい
ることを申し上げておきましょう。
もしサタンが今でも世界を支配しているならば、イエスはまだ王の王、主の主ではありません。あなたのグループの中に神学者がいるなら、サウル王がまだ王座
にいる間にダビデは王としての油注ぎを受けたように、イエスもまた王権と王国を開始されたのだと反論することでしょう。しかし第4番目の質問が持ち上がり
ます。もしイエスがその立場を開始されただけなのだったならば、イエスは神の右の座に座っておられるとはどういうことなのでしょうか?イエスご自身が強い
者を最初に縛らなければならないというすばらしいたとえ話を用いられました。
次の箇所をだれかに読んでもらいましょう。
マタイ12章28、29節
マルコ3章26、27節
ルカ11章20〜22節
ここでイエスはサタンよりも強く、サタンを縛ったことを示そうとしておられるのではないでしょうか?
質問4
イエスは現在、父なる神の右の座に着いておられますか?
すでにこの質問に関する方向性を述べました。ですから、聖書から一緒に答えを見ましょう。
では、だれかに次の箇所を読んでもらいましょう。
マタイ26章63,64節
マルコ14章61、62節
ヘブル8章1、2節
黙示録4章2、3節
黙示録14章14節
私たちは以上の質問に対する回答が意味する事がらを考慮しなければなりません。自分の回答が読んだ聖書箇所と矛盾しないかどうかを考えましょう。もし自分
の考えが聖書に沿わないならば、自分の持っている考えがすべてをはっきりとより良く理解することを妨げているかもしれないということを考えてみましょう。
明確な理解のための明確な土台
難しいかもしれませんが、「終わりの時」が起こるだろうとどのように考えるかについての自分の考えを横におくことはとても大切です。もし通り一遍でもこの
テーマを研究したならば、5人の神学者ごとに10の説があるようだということに気付くでしょう。プレミレ、ポストミレ、プリトリブ(大患難前携挙)、ポス
トトリブ(大患難後携挙)、というようないろいろな説に関する議論にいやけがさすでしょう。
また、終末論を研究する人々にしばしば起こることは、不明瞭な聖書箇所に引き付けられがちになり、より明瞭な箇所を解釈するために不明瞭な箇所を引用する
ことです。これはダニエル書をよく引用し、イエスのもっと明瞭な教えを無視する人々に見られます。
それではここで、私たちがさらに前に進むために、特別な解釈の方法、原則を用いるべきかを決定しましょう。
●明瞭な箇所によって不明瞭な箇所を理解する。
●新しい箇所をもってより古い箇所を解釈する。
●文脈(歴史的、文法的、契約的)
●聴衆(読者)の妥当性
最初のポイントに従えば、2、3の箇所の上に自分の理解を築いてしまうということはなくなります。イエスはユダヤ人の離婚することはかまわないという考え
のような多くの間違った理解を正されたことを忘れてはいけません(マタイ19章3〜9節)。私たちはイエスや弟子たちの明瞭な教えにより重きをおく必要が
あります。
第二のポイントは第一のポイントに似ていますが、どのように旧約聖書を活用するのかということに制限されます。確かに、聖書はすべて教え、戒め、矯正、義
の教えのために有益です(2テモテ3章16節)。しかし、私たちはイエスが旧約聖書を成就するために来られたことを理解しなければなりません。
これは私たちが旧約聖書を間違って理解しようとするとき、イエスは(しばしばユダヤ人たちにそうされたように)それを正されるということを意味します。
第三のポイントは、一度は聞いたことのある原則であることは間違いないでしょう。その箇所を理解するためには「いつもその前の箇所と、その後の箇所を読み
なさい」ということばを聞いたことがあるでしょう。これは良い方法ですが、その箇所のより納得のいく理解のためには、さらに文脈を理解するということをし
なければなりません。章と節の区別は完全に独断的なものであるという理解は大切です。どのようにして章や節ができたのかと考えたことはあるでしょうか?ユ
ダヤ人の写本にもギリシャ語の写本にも章や節はおろか、句読点もありませんでした。このような章節の区分は後代に付けられたものであり、事実1200年代
になるまではっきりした章と節の区分は利用されていませんでした。またロバート・スティーブンスという名前の人が今のような区分をする1551年までな
かったのです。ですから、文脈を判断するのに、章と節の区分に極端な信頼をおくことに注意しましょう。
ある箇所の文脈を理解しようとするときに、聖書において、古代の文化においてそれは歴史的にどのように用いられてきたのかということを心に留めなければな
りません。私たちは文法的な文脈を理解しなければなりません。特に、翻訳によって時々意味が失われていることを理解しなければなりません。しかし
私たちが使っている現代の翻訳は小さな間違いはありながらも福音が拡大するには十分良いものです。明らかに聖書は英語では(日本語でも)書かれていませ
ん。ですから、自分が願っている解釈をするために英語(日本語)のことばを強調しすぎることに注意しましょう。聖書に関しては聖書そのものが語ります。最
後に、文脈に関して、ある教えは神の約束にどのように当てはまるかを理解しなければなりません。例えば、神は二度と地を滅ぼさないと誓われなかったでしょ
うか(創世記9章)?ある人たちは少なくとも水によってはと言うでしょう。
原則の第四ポイントは、聴衆(読者)の妥当性です。私たちがその箇所を理解するときに、それが宛てられた人々によって理解されるものとしてその箇所を理解
しなければなりません。このために、その当時の文化、民族、人々、政治的状況を研究することが必要となってきます。
とても大切な聴衆(読者)の妥当性の指標は代名詞の使用です。「あなたがた」とか「私たち」というようなことばに注意しましょう。もしこのような代名詞が
用
いられているならば、その箇所の内容はどちらかと言えば、今日の私たちに直接関係するのではありません。これは私たちに適用できないと言っているわけでは
ありません。しかし、しばしば牧師や教師たちは正しい聴衆(読者)の妥当性と未来への適用をあいまいにします。このような間違った解釈(理解の方法)はし
ば
しば牧師たちに一度きりの出来事を継続的な、または未来の出来事と受け取らせます。
私たちはそのメッセージがだれに対して意図されたものかを考慮しなければなりません。
解釈法の4ポイントに沿わないと考えられる聖書の間違った教えで思いつくものがあれば取り上げてみましょう。
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明らかな間違いに直面してもなお人々は間違った教えに従い続けるのはなぜか話し合ってみましょう。
基本に戻る
さて、懸念されなければならない私たちの先入観のいくつかを考え、適切な解釈法が整ったので、プレテリズムの基本のいくつかを学ぶことにしましょう。
・正確な時間の情報
・約束を守る
・本当の「あなた」に戻る
・王国の王
正確な時間の情報
あなたはたぶん封筒に「正確な時間の情報」が書かれた手紙をもらったことがあるでしょう。プレテリズムは新約聖書で教えられたメッセージのほとんどは特にその時を経験している人々に宛てられたと教え
ます。確かに、今日の私たちに対する適用はありますが、新約聖書の時代に自分自身を読み込ませてはいけません。
いくつかの時間の表現を見ましょう。
だれかに以下の箇所を読んでもらいましょう。
マタイ10章23節
マタイ23章36節
マタイ24章34節
マルコ1章15節
ルカ11章50、51節
ローマ16章20節
ピリピ4章5節
1ペテロ4章7節
黙示録1章1節
黙示録22章6節
その箇所が「近い、まもなく、すぐに」と語っているように、まるで語られている出来事が今にも起ころうとしているような危急性があることに注意してください。
私たちは原則を無視するべきではありません。私たちはこれらの箇所を英語(日本語)で読んでいるのですが、ギリシャ語のレキシコンを開くよりも、私たちが
読んだ箇所をより明瞭な箇所とを比較することで、確信をえるでしょう。
次の箇所を読みましょう。
マタイ1章1節
マタイ26章45節
ルカ1章50節
ヨハネ7章2節
ヨハネ19章42節
使徒行伝25章4節
ピリピ2章24節
上記のある箇所に用いられている「まもなく、すぐに(shortly)」というギリシャ語はイエスの再臨に関して語られている箇所で用いられているギリ
シャ語のことばと同じです。
また、上記の箇所の中で「世代、時代、系図」として訳されている同じギリシャ語のことばはどれも単に「民族」を意味するのではなく、英語で意味するのと同
じようにあるグループの人々の人生の期間を意味します。
最後に、上記の箇所で「近い(at hand)」ということばが用いられていることを指摘しておかなければなりません。
さて、もし私たちが上記の聖書箇所は何千年間も起こっていないというつもりでないなら、その当時の期間中にイエスが再臨されたことを示していることを喜ん
で認めなければなりません。
プレテリズムが提示する説を思い巡らす中で、あなた自身の心に浮かぶ思いや考えを書いてみましょう。
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グループのメンバーたちと分かち合ってみましょう。しかし今は詳細に渡って議論をしないようにしましょう。簡単に分かち合うだけにしましょう。
約束を守る
イエスがされたメシアであるとの主張を信じない理由として無神論者がする中心的な弁解は(彼らが回心していないので、霊的に理解できないという事実以外
に)、イエスは再臨すると言ったのに再臨しなかったというものです。
ここまで学んできたように、イエスがすぐに戻って来ると言われたのは、何千年もの期間のすぐではなく、弟子たちがイスラエルの町々を巡り終える前、イエス
と同時代の人々がまだ生きている間のすぐという意味であることはかなり明瞭だと考えられます。
すぐに戻ってくるという約束をイエスは守られたのかということを
私たちは自問しなければなりません。
本当の「あなた(がた)」に戻る
次の聖書箇所を読みましょう。
マタイ1章23節
マタイ4章6節
マタイ6章8節
マタイ10章17、18節
これらの聖書箇所を読むときに、より一般的な「彼らは、彼らに(を)、彼らの」ということばではなく、より個人的な「あなた(がた)」ということばが使用
されていることに気付いたでしょうか?
私たちは、まるで聖書記者が直接に宛てた人々に本当は適用されないかのように、すぐに自分自身に聖書のある箇所を当てはめてしまいがちです。しかし、実際
は、新約聖書がまるで未来の時代の人々に話しているかのように、未来形で人々に語っていることはまれです。
私たちが聖書を読むときに、代名詞に注意しなければなりません。そうでなければ、単に私たちへの教えのための意味であることを、すべて直接自分自身に語ら
れていることとして受け取ってしまうでしょう。
直接的読者、または聴衆であることを再考する必要のある聖書箇所が思い浮かんだら上げてみましょう。
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グループのメンバーとそれを分かち合ってみましょう。
王国の王
ある人々は終末論はそれほど大切ではないか、学ぼうとするには非常にあいまいなテーマだと考えます。しかし私たちは気を
つけなければなりません。なぜなら、イエスのメッセージの全体は来るべき神の国であり、人は神の国への入り口と永遠のいのちをどのように得ることができる
のかについてであるからです。
実際、王国ということばは、聖書の中に300回登場し、その半分以上は新約聖書に出てきます。ですから、来るべき神の国の教えを軽く取ることは、新約聖書
の主要なメッセージを軽く受け取ることです。
ある人々が冗談で、どうせ「最後にはそれはすべてよい結果になる(pan
out)のだから、自分は「パンミレニアリスト(汎千年王国主義者)」だと言うとき、イエスの大切な教えに対して軽薄な態度をとることです。
もしイエスが王であるなら、ある王国の王でなければなりません。それで、イエスはまだ王ではないのかという疑問が出てくるのです。
ある人々はサウル王がまだ王座についていたときに、ダビデは王としての油注ぎを受けていたという同じ意味において、イエスは王であると主張します。それ
は、悪魔、サタンはまだこの世界の王座についているけれども、イエスは待機している王であるということです。
ひとりひとりがイエスの王権について考えることと、プレテリズムが提案することについて考えを分かち合いましょう。(ひとり一分以内で。)
次の箇所をだれかに読んでもらいましょう。
マタイ3章1〜2節
マタイ4章16〜17節
マタイ4章23節
ルカ4章43節
ルカ8章1節
ルカ9章2節
イエスが来られた目的が、来るべき神の国を宣べ伝えるためであったことに注意しましょう。時々、私たちは「イエスはあなたを愛しておられ、あなたの人生に
すばらしい計画を持っておられる」ということを宣べ伝えるように教えられてきたので、このポイントを見落とします。イエスのメッセージはそのこと以上のこ
とだったのです。「悔い改めよ。神の国は近づいた!」
イエスが宣べ伝えられたものとは違うメッセージを伝えるように教えられてきたという経験をグループの人たちと分かち合いましょう。(または、違ったメッ
セージであなた自身が受けた例を上げてみましょう。)
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・
どのような種類の王国が来ようとしていたのか?
次の箇所をだれかに読んでもらいましょう。
マタイ13章31〜32節
ルカ1章33節
ルカ13章20〜21節
ルカ16章16節
ルカ17章20〜21節
ヨハネ18章36〜37節
ヘブル12章28節
神の国はまさに始まろうとしていたこと、地上のすべての方向(東から西)に向かって拡大し続けることに注意してください。神の国の終わりはなかったので
す。ですから私たちは次のどちらかのように結論付けなければなりません。
1:神の国はまだ始まっていなかった。
2:神の国の性質は誤解されている。
選択肢1はイエスが神の国を宣べ伝え、弟子たちにも神の国を宣べ伝えるように教えられたのですから、問題外です。さらにルカ16章16節は神の国が到着し
ようとしていたことをはっきり語っています。
「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。 」
神の国の性質を誤解することはありえないことでしょうか?
だれかに次の箇所を読んでもらいましょう。
ルカ17章20〜21
使徒行伝1章6節
ルカ17章20〜21節に出てくる、メシアと来るべき神の国を教える教師である学問を積んだユダヤ人たちが、神の国の性質について誤解したならば、古代の
ユダヤ人的思考形態の知識に乏しい私たちもまた誤解することはありえることではないでしょうか?
さらに、イエスの下で、3年間も過ごした弟子たちが、使徒行伝1章6節で彼らが神の国の性質を誤解していたことを示しているなら、聖書を読むのに丸々3年
も費やしたことのない私たちが誤解することはありえないことでしょうか?
まるで神の国が地上に建てられるのが将来のいつかであるという神の国の教えをあなたは何人の牧師や説教者から聞きますか?このような牧師や説教者は何年も
説教し続けているし、いくつかの大学から博士号も授与されたかもしれないことを心にとめてください。彼らがポイントをはずしたということはどういうことな
のでしょうか?
◆
この小冊子はプレテリズム緒論です。
この小冊子がさらに神の言葉を学びたいという願いをあなたに与えたことを期待します。
次のページでは、あなたがさらにプレテリズムを学び続けるためのいくつかのヒントを見つけることでしょう。
◆
聖書研究
プレテリズムが提案することをこころにとめながら、以下の聖書箇所を読みましょう。
●マタイ24章
●マルコ13章
●ルカ21章
コンコルダンスによる研究
聖書のコンコルダンス(聖書に使用されているすべてのことばのリストが書かれている本)を買って、新約聖書にある次のことばを調べましょう。
●「すぐに、間もなく」(shortly)
●神の国(kingdom)
●時代(age/世の終わりの「世」)
歴史的研究
ヨセフスのユダヤ戦記を買って、紀元70年のエルサレム崩壊が書かれている章を読みましょう。(ヨセフスはユダヤ人の歴史家で、紀元70年のエルサレム崩
壊の目撃者です。)その後、ルカ21章20〜24節のイエスの警告とヨセフスのことばを比較しましょう。
※この小冊子/テキストはロデリック・エドワーズ氏の許可をいただいて翻訳掲載しています。この小冊子は小グループでの学びのために作成されたものですか
ら、ぜひ学びのために、特に小グループでの学びのためにご活用ください。