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フル・プレテリズム
Frequently Asked Questions
ドン・プレストン



Q:なぜあなたがたはキリストの再臨は紀元70年に出来事であったと強く主張するのでしょうか。何か特別な意味があるのでしょうか?イエスが紀元70年に再臨されたと信じようが、まもなく再臨されると信じようが何か現実に違いがあるのでしょうか?何がそんなに大騒ぎすることなのでしょうか?

A:私が信じようと信じまいと、真理そのものに変化はないということは確かにその通りです。私がエルビスが死んだと信じようが、まだ生きていると信じようが、その事実を変えることはできません。しかし、大切なことは、イエスは神の子であり、聖書が神のことばであるかどうかです。

本物の預言者を見極めるテストはその預言が実現したかどうかです(申命記18:18以降)。イエスは自分が神の子であると主張し、第一世紀の時代に再臨は起こる(マタイ10:23、16:27〜28、24:29〜34)と預言されました。簡潔に言うと、もしイエスがまもなく来ると言ったのに、来られなかったとしたら、イエスは神の子ではないのです。 

同様に、聖書の記者たちは聖霊によって起こるべきことについて語り、記したと主張しました(ヨハネ16:7以降)。新約聖書の各書はその時が世(時代)の終わりである、その時代に主の再臨は近い、裁きと復活はまもなく起こるという表現で満ちています。ヤコブは「主が来られるのが近づいている。」(ヤコブ5:8)と言いました。ペテロは「万物の終わりが近づいている。」、また、「裁きが始まる時が来ている。」(1ペテロ4:7,17)と言いました。へブル書の記者は「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる、おそくなることはない。」(へブル10:37)と言いました。黙示録では、イエスが繰り返し、またしきりに「見よ。私はすぐに来る。」(黙示録22:6,10,12,20)と述べられました。どうぞ、このテーマに関するさらなる議論と証明のために私の書いた小冊子「Can God Tell Time?」を参照してください。そしてこれらのはっきりと語られたことをあいまいにしようとする試みに対する私の反論をホームページでご覧ください。

もし聖霊に導かれてこのように語ったならば、弟子たちが主の来られる時について間違うことがあるでしょうか?

リベラルな懐疑論者たちや無神論者たちは、自分たちの意見として、イエスはご自身の再臨の時を間違ったのだからと、聖書とイエスの神性に関する信頼性を長らく攻撃してきました。偉大なキリスト教の弁証家のC・S・ルイスでさえ、だれもが預言は間違ったことを知っているのだから、イエスの再臨の預言は聖書の中で最も厄介で当惑させられる箇所だと言っています。

ご自身が言われたように第一世紀にイエスが再臨されたかどうかは、大変重要であるというのが結論です。もし約束されたように来られなかったとしたら、イエスは嘘つきか、ミスをしたかのどちらかです。それはイエスが神の子ではないことと聖書は神のことばではないことを意味します。

終末論についてのすべての未来派の見解は、彼らがそのつもりがあるかどうかは別として(明らかに彼らはそのようには意識してはいないのですが)、イエスが約束を守らなかったというそしりを免れません。しかし、イエスと弟子たちののことばを尊重し、聖書とイエスの神性を弁護するひとつの方法があるのです。それはイエスが言われたように第一世紀に再臨されたことを信じ、教えることです。



Q: 聖書は来るべき世(時代)には、めとることもとつぐこともないとあります。プレテリスト(過去派の人々)はどのように来るべき時代が訪れたといいながら、人々がまだ結婚していることを説明するのでしょうか?

A: まず初めに、聖書がこの世(時代)と来るべき世(時代)と呼んでいることがらについて考えてみましょう。これは非常に大切なことです。ほとんどの未来派の人々は聖書が「この世(時代)」と呼んでいるのは、現在のクリスチャンの時代であり、それは「来るべき世(時代)」の到来とともに終わると考えています。これは基本的な間違いです。

ルカ20章で、イエスは復活と来るべき世(時代)について論議しておられます。

イエスは復活に反対するサドカイ人たちの仮説に向き合っておられることに注意しましょう。彼らは逆縁婚の実践について話しをしています。イエスはそれに答えて、「次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いたちのようであり、また、復活の子どもとして神の子どもだからです。」と言われました。

どうぞイエスが「この世の子らはめとったり、とついだりする」と言われたことに注意してください。イエスは直接、逆縁婚の問題に触れておられるのです。決して普遍的な人類の経験に言及しておられるのではありません。プレストンは結婚しているではないか、だから復活は起こっていないのだと個人攻撃するような議論は間違っています。なぜなら、このような議論は全く問われている結婚問題が逆縁婚の律法であるという事実を無視しているからです。

イエスが生きておられた世(時代)は逆縁婚が律法だった世(時代)だったのでしょうか?もちろんそうです。それは、シナイにおいてイスラエルに与えられた律法の時代だったのです。その世(時代)はモーセの時代だったのです。
( 申命記25章)

ここで3つの大切なポイントを挙げさせてください。

  1. 聖書は「この世(時代)」と「来るべき世(じだい)」のたった2つの世(時代)のことしか語っていません。
  2. イエスは「この世(時代)」はモーセの時代、そして、来るべき世(時代)はメシアの時代、新しい契約の世(時代)だと教えられました。
  3. イエスはモーセと律法の「この世(時代)」が終わることと、来るべき世(時代)には終わりがないことを信じておられました。

上述したことの本質的真理には疑いの余地はありません。新約聖書は絶えずモーセの世(時代)の終わりについて語っています。しかし、イエスと新しい契約の世(時代)には終わりがないことを繰り返し確約しています(ルカ1:32〜35、マタイ24:35、エペソ3:20〜21)。ですから自問していただきたいのです。教会の時代に終わりがないのなら、人はどうして今のクリスチャンの時代の終わりについて教えることが可能なのでしょうか? 

さて、ルカ20章にあるイエスの教えをさらに詳しく学びましょう。

来るべき世(時代)には、

1.) 人々はめとりも、とつぎもしません。

イエスのおられた「この世(時代)」はどのように保たれたのでしょうか?それは結婚によってです。しかし、イエスは来るべき世(時代)にはこのケースは当てはまらないと言われました。

パウロはモーセの時代に続く時代には、キリストにあって「男も女もない」(ガラテヤ3:28)と言いました。もし、キリストにあって男も女もないならば、どうしてめとったり、とついだりすることがあるでしょうか?さらに、イエスは来るべき世(時代)には逆縁婚はその時代の習慣ではないと言われました。逆縁婚はイエスにある新しい契約の時代に実践されるのでしょうか?もしそうではないなら、来るべき時代は来ているのです。

2.)来るべき世(時代)には彼らは死なない 。

死はモーセの世(時代)の常態でした。(ローマ7:7以降、2コリント3:6以降、ガラテヤ3:20〜21)それとは対照的に、イエスにある新しい契約は永遠のいのちを与えます。ヨハネ8:51、ローマ6:23、ローマ8:1〜3は罪と死の法則からの自由です。

3.) 彼らは神の子らであり、復活の子らです。

モーセの時代の下では、神の子らは結婚と誕生と教育によって生み出されました。新しい契約の下では、子どもたちは信仰によって生み出されます。「あなたがたはみな、信仰によって神の子どもです。なぜなら、キリストにあるバプテスマを受けて、キリストをその身に着たのです。」そして教えられ、生まれます(へブル8:6)。ローマ6章4節以降で、パウロはバプテスマにおけるキリストにともなる死、葬り、そして復活、神の子を生み出し、死からいのちに移る、信仰による復活について語っています(コロサイ2:11〜13)。

ですから、イエスが言われたすべての構成要素は「来るべき世(時代)」はキリストの新しい契約の世界の中に見出されるという特徴を示します。そして、新しい契約の世界はイエスが生きておられたモーセの世界に続くということは言うまでもないでしょう。

私の最後の論点は、2つのことを証明しました。聖書は「この世(時代)」がクリスチャンの時代とは呼んでいないこと、それは事実モーセの時代、シナイでイスラエルに律法が与えられた時代であることを証明しました。このことは、明白に来るべき世(時代)、復活の世(時代)はクリスチャンの時代だということを意味します。

第二に、イエスの「この世(時代)」の終わりに復活は起こり、「この世(時代)」がモーセの時代だったのであり、紀元70年のエルサレムの崩壊の時にその時代は終わったのですから、このことは紀元70年のエルサレムの崩壊の時に復活は起こったということを意味するのです。

Q: もし、主が紀元70年に来られたのだとしたら、主の晩餐にはあずかるべきなのでしょうか?パウロは、「このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」(1コリント11:26)と言っています。ですから、このみことばによると、もし主が紀元70年に来られたとしたら、私たちは聖餐式をするべきではないでしょう。

A: この一般的な反論は晩餐の性質とコリント書の「〜まで」の意味の誤解によるのだと思います。

晩餐の継続という主題の長文を参照していただきたいと思いますが、短くいくつかのことを述べておきましょう。

第一に、「〜まで」ということばは「〜の時点まで、〜に至るまで」というような意味にしばしば用いられ、終点や変化を指し示します。しかし、それはいつもこの意味を表すというのではありません。パウロは「死はアダムからモーセまでの間においても支配した」(ローマ5:14)と言っています。もちろん、モーセの律法の導入が死を終わらせたり、打ち負かしたりしたわけではありません。同様に、パウロはテモテに「私がそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。」(1テモテ4:13)と話しました。だれひとりとして、テモテがパウロが到着した時、聖書を読むのを止めるべきだったと反論する人はいないでしょう。「〜まで」ということばの、このような用法が用いられているたくさんの例があります。

第二に、パウロがコリント書で言っている他のことにおいても、何であれ主はコリントの人々の生涯のうちに再臨されるということを言っているということが理解されねばなりません。パウロが「主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」と言っている時、彼は生きて呼吸をしている人間に宛てて手紙を書いているのです。ですから、コリントの人々が生きているうちに主は来られたのです。コリント書に出てくる固有名詞に注目する時間をとりましょう。そうすれば、パウロが特にコリントの人々に宛てて書いたことが非常に明らかになるでしょう。

第三に、晩餐は記念として制定されました。このことが重要です。それは新しい契約の記念となるべきものだったのです(マタイ26:26以降)。それは罪と死の束縛からの解放の記念となるべきでした。それは信仰の一致の記念となるべきものでした。しかし、新しい契約は主が来られるまで完成されませんでした。新しい契約が完全な現実となるまで、どうして晩餐は新しい契約の記念となり得るのでしょうか?さらに具体的に言うなら、それが記念そのものとなる瞬間に晩餐の役目は終わるをはどういうことなのでしょう?記念することが現実となる時、晩餐は唯一のまことの記念となったのです。それがパルーシアの時に起こったのです。

第四に、イエスは晩餐に参加した者たちと話されたとき、「神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない。」(ルカ22)と言われました。晩餐はパルーシアの時に、廃棄されるべきであったと主張する人々は、イエスが王国が来る時(これは紀元70年に起こりました。ルカ21:28〜32)、食事をすると強調して言われた事実にほとんど注意を払いません。別の言い方をすると、晩餐との関係において用いられている2つの「〜まで」があります。コリント書はパルーシアの後、晩餐が続けられるべきかどうかについて語っていません。それは晩餐のイエスの死を告げ知らせるという一面を語っているのです。しかし、ルカにおいては、晩餐の継続と参加がテーマであり、イエスは晩餐に加わるそのとき、王国の到来があると言われました。ですから、晩餐はパルーシアにおいて廃棄されるべきものではありません。それはパルーシアの時に完成され、イエスキリストの終えられた業を記念するものとなったのです。


Q:もし主が紀元70年に来られたとしたら、今、クリスチャンが肉体的に死んだ時に何が起こりますか?ある人たちは、もし主が紀元70年に来られたのだから、クリスチャンライフを生きることに意味はないし、そこにあるものだけが人生だということを主張します。これにはどのように応えられるでしょうか?

A: まずはじめに、契約的終末論(Covenant Eschatology:訳者注:プレテリズムのことをこのように言うこともある。)の反対者たちは実際多くの場合、あまり情報を入手していないこと、さらに悪いことに、彼らはイエスが言われた通りに来られることで、約束を守られたと信じる私たちに対して、偽りの批判をすることを厭わないのを理解しておく必要があります。ですから、誰かが、もしイエスが再臨されたなら、私たちはもはや正しい生活をする理由がないという非難をするのは偽りの批判なのです。

さらに、聖書ははっきりとクリスチャンのために死後の世界とすばらしい世界の概念と事実を提供しています。イエスは、もし人が彼を信じるなら、その人は「決して死なない」(ヨハネ8:51)という約束を守られるということを忘れないでください。パウロは彼を待ち受けている主の臨在の中にいることの方が、最も愛すべき地上の人間関係よりもさらにまさっている(ピリピ1:20〜21)と信じつつ、自分の死を予期していました。彼は主の日に、この祝福(2テモテ4:6以降)が与えられることを知っていました。私たちは雲に乗ってキリストが来られることを見出すことと、「今から後、主にあって死ぬ者は幸いである。御霊も言われる。しかり、彼らはその労苦から解き放たれて休むことができる。」という黙示録14章13節のみことばにも注意を払うべきです。

この節はいくつかのことを私たちに教えてくれます。

第一に、キリストが雲に乗って来られた後でさえ、肉体の死があるということです。これはキリストの再臨の時に時間は終わり、地球は焼け、死はもはやなくなるという考えとはまったく相容れません。

第二に、キリストの再臨後には、以前には存在しなかったキリストにある人々のための祝福の状態が存在します。さて、誤解していただきたくないのですが、悪者と義人の死の祝福の間にはいつも違いがありました(詩篇116:15とエゼキエル33:11)。しかし、パルーシアの時にキリストの業が完成するまで、義人でさえ「聖所」に入ることができなかったのです。これは最期の審判が起こった時にしか現われないことだったのです(黙示録15:8、16:17以降)。

ですから、今日、忠実な神の子が死ぬ時、彼らは地上のどのような状態よりもまさった永遠の祝福の状態に入ります。契約的終末論(プレテリズム)は希望を壊すことはありません。契約的終末論(プレテリズム)は私たちの希望がキリストのうちに実現することを示します。



Q: もし、あなたが言われるように主が紀元70年に来られたのだったら、なぜ初期の教会の著作にはこれに関しての記録がないのでしょうか?確かにあなたが言われるように主が来られたのなら、それについて彼らは何かを語っているのではないでしょうか?この沈黙に関してどのように応えられるでしょうか?

A: 正直なところ、私にとってはこの問題はかなり意味の深い重要なことがらであることは明らかです。パルーシアに関する沈黙は当惑させられることであり、興味深いことであることに同意しつつも、沈黙が約束された通りにイエスが来られたのかどうかの決定的な要素になるのではありません。

この分野に関して、私自身にとって個人的に助けになっているいくつかの考えを提供しましょう。

  1. 初代教会は当初、主にユダヤ人で構成されていました。少なくともこれは黙示的なことばを正しく解釈し、理解するためのより適切な解釈法が存在する機会と可能性を意味します。
  2. この基本的な預言文書の理解は、改宗者と神を恐れる者たち(セボマイ)がキリストに回心した時でさえ、継続したでしょう。
  3. しかし、回心とともに私が個人的に「ストリート・ジェンタイル(通りにいる異邦人)」と名づけている、いままでに一度も回心したことのない人々やシナゴーグに出席している人々の数と影響が増すとともに、純粋なギリシャの世界観と哲学が侵入し、教会の思考過程に侵入してきたのです。今日まで、ヘブライ的思考よりも字義的なアレキサンドリアの世界観が残っています。「ストリート・ジェンタイル」(異教徒)の数が増加するというのは、預言的な聖書箇所への無知が拡大するということと、聖書を理解するための正しい解釈学を適切に理解することを喪失したことを意味しました。
  4. また、この「ストリート・ジェンタイル」の数の増加とともに、聖書への無知が旧約聖書に対して、特にイスラエルに対しての反感を助長しました。これはローマ11章(紀元55〜57年ごろ)の中にはっきりと見出すことができ、パウロはイスラエルに対して自分自身を誇らないようにと、異邦人クリスチャンに警告を与えています。異邦人クリスチャンは間違って、イスラエルの終末はすでに訪れ、すでに過去のものとなったと結論付けました(ですから、パウロは「神はご自身の民を捨てられたのですか?」と質問しました。神はイスラエルを捨てられたというという考えは、「復活はすでに過去のものである。」という人々の中にあったのかもしれません)。
  5. このような無知の拡大とイスラエルと聖書に対する反感は、イエスがはっきりと言われた大きな背教(マタイ24:9〜12、2テサロニケ2:1〜3)の一部であり、終末論に関する誤解を含んでいました。いくつかの難解な部分がありますが、テサロニケの人々とローマでの状況は重要な違いです。しかし、それらはみな大きな背教の問題の一部です。

イエスは「多くの人たちの愛は冷たくなります」(マタイ24:12)と言われたほどの背教に達するだろうと言われました。さらに、「人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:8)というほどの背教について思い巡らされました。これは驚くべきことです。背教(聖書の教えに関するひどい誤用)は使徒たちと教父たちが紀元70年のパルーシアに冠する沈黙を説明する主原因であるというのが、私の確信です。以下のことをお考えください。

エルサレムは預言者たちを殺し、究極には主を殺したために裁かれ、滅ぼされるべきであったという事実ははっきりと教えられています。しかし、紀元150年のジャスティン・マーターに至るまで使徒的著者たち(バルナバ、ヘルメス、クレメントなど)のひとりとして、このつながりを書いた人はいませんでした。

さて、どうしてこのような驚くべき沈黙があったのでしょうか?それほど長い期間に渡って旧・新約聖書のもっとも基本的で明らかな事実に対して驚くべき無知があったのでしょうか?いっけん単純ですが、驚くほど重要な教理が失われていました。それが彼らの目の前につねにあったにも関わらず。

その他のことがらに関しても、ほとんどすぐに、抗議されることになしに歪められてしまったことも考慮すべきです。例えば、イグナチウスの書簡を読むとき、彼の教会論は聖書のどこにも見出すことができません。彼は教会に対しては、長老は「神として」立つのであり、長老が授けるのでなければ、聖餐は受けられないし、ある町全体を担当するためにひとりの監督がいるべきだと言いました。このようなことは聖書的な真理ではありません。紀元112年あたりであるのにも関わらずどうして彼は聖書の真理を見失ったのでしょうか?なぜだれも彼のあからさまな間違いに関して、彼を非難しなかったのでしょうか?

最後になりますが、背教が止むか、教父時代に正されるというようにはなりませんでした。それはさらに何世紀にも渡って悪化していきました。教父たちの著作にある奇抜な考えは、みことばの真理に親しんでいる人々をぞっとさせます。しかし、これらの人々は今日多くの人々から正統主義の歴史のために学ぶべき人々と考えられているのです。なんと残念なことなのでしょうか。

さて、どうぞ誤解しないでください。私は継続的に教父たちの著書を読んでいますし、これらの人々の業績に感謝しています。しかし、多くのあいまいなことがらにおいて、彼らは真理だと考えていることが分かりました。彼らの歴史的な主張の多くでさえも、公然とした間違いであるのです。アイレナイオスはイエスはほとんど50歳まで生きて、働きをしたと主張したことがこれを証言します。

パルーシアに関する著作からもひとつのことが明らかです。彼らはエルサレム崩壊と終わりの時を関連付けました(バルナバの手紙)、そして彼らはその出来事の後で書いたのですが、終わりは来ていないとことにほとんど当惑しているようでした。ですから、イスラエルに対する裁きを伴った終末に関連した、わずかな記憶が繰り返されているのです。初期の著者たちは明らかになぜ主が来られなかったのかを理解するのに苦しんでいます。彼らの歪められた字義主義的な期待において、主は言われたようには来られなかったのです。これらの著書は内なる苦闘を表しています。いわゆる終わりの遅延(ヘルメス)という説明を試みようとしています。私はサムエル・フロストが書いたMisolaced hopeというすばらしい本を紹介したいと思います。サムは使徒的著者たちがある意味において紀元70年と終わりを関連付けながらも、なぜそのときに終わりが来なかったのか理解しようとしているという資料を提供しています。

たぶん初期の著作における沈黙に関しては他のことがらが含まれているでしょう。しかし、沈黙の中心的な意味は背教であるというのが私の確信です。当惑と失望のために彼らは遅延を考えたのでしょう。彼らはパルーシアの正しい理解を失いました。それがいつ起こるか確かに知っていたのですが、神がご自身のことばを守られるという確信を握り損ねたのです。教会はそれ以来その背教のつけを払い続けているのです。




※このFAQはドン・プレストン師の許可を得て、翻訳掲載しています。よって無断転載は堅くお断りします。プレストン師はオクラホマ州にあるアドモアー・キリストの教会の牧師。ホームページはEschatology.orgです。


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