
エリヤ的クリスチャン
谷口 明法
聖書箇所 1列王記18章16〜40節
● エリヤ的クリスチャンというタイトルで聖書から学んでいきたいと思います。エリヤ的と言う時に英語のarea、「地域、区域」ということではなく、もちろんあの預言者エリヤのことです。
● 1列王記18章前後の背景を少しお話ししましょう。
● イスラエル王国はサウル王の40年間の支配、ダビデ王の40年間の支配、そしてソロモン王の40年間の支配の後、ソロモン王の死後、BC933年(またはBC922年)にイスラエル王国10部族で構成された北王国のイスラエルとユダとベニヤミン部族で構成された南王国のユダに分裂しました。
● 南王国のユダには良い王様も出たものの、北王国イスラエルは聖書的観点からいうとほとんど悪い王様の支配の中にありました。ハーレイの聖書ハンドブックによると名前が挙がっている王様19人の評価は、「悪、悪、悪、悪、悪、極悪、最悪、悪、多悪、多悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪」となっています。
● 1列王記16章の終わりから、第七代の王アハブ(BC875年〜854年)が登場します。アハブはシドンの王エテバアルの娘イゼベルと結婚するのですが、彼女がさらにアハブとイスラエルを罪の中に引き込んでいくのです。ハーレイによると「最悪」のイスラエル王ということになります。またハーレイはイゼベルを「彼女は高慢で、無節操で、執念深く、即決型の悪魔的な、悪鬼の生まれ変わりであった。」と述べています。
● 民衆が悪いと指導者も悪いと言われますが、当時も同じように、イスラエルは聖書の神だけではなく、バアル神をも信仰していたのです。そのような中、聖書の神はエリヤという預言者を起こされました。
● 神は三年半の間、雨を降らさず、それを通して自分たちの状態に気づき、聖書の神に立ち返るようにと働かれましたが、なおも人々はまことの神に立ち返りませんでした。心がかたくなになった人はどのような神の働きかけも、それを神からのものと受け取ることができないのです。
● 三年半が経ったとき、エリヤはアハブとイスラエルにチャレンジをします。それがこの18章16節〜40節の出来事なのです。それではここからご一緒に学んでいきましょう。
(1) 日本人クリスチャンの姿・・・外面的
● 19節を読むと、バアルの預言者は450人に対して、主の預言者はエリヤ一人でした。(また、アシェラの預言者は400人)。
● 日本のクリスチャン人口は100万人と言われています。しかし、実際毎週礼拝に出席するクリスチャンは20万人と言われます。人口の1%どころか、0.2%という」のが実情です。すなわち、日本人クリスチャンはアハブの時代のエリヤのような存在なのです。
● しかし、それを少ないと悲しんではならないのです。クリスチャンになるということは神の永遠のご計画の問題であり、神が永遠の計画の中で選んでくださったということなのです。
● パウロはエペソのクリスチャンたちに、「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ1章4節)と語りました。
● 現在、日本人クリスチャンは少ないのですが、決して悲しむ必要はないのです。ローマ帝国は少数のイエスキリストを心から信じ、献身した者たちから始まったキリスト教によって、その後転覆させられたのです。
(2) 日本人クリスチャンの姿・・・内面的・霊的
● しかし、問題は外側ではありません。外側の問題はいつも内側の問題の現われなのです。
● 当時のイスラエル人たちは決して、聖書の神ヤーウェを信じていなかったのではありません。彼らは聖書の神も信じていたし、同時にバアルやアシェラも信じていたのです。
● ですから、21節でエリヤは人々に「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。」と問いかけました。文字通りの意味は「2つの枝の間で飛び交っているのか?」で、それは鳥たちが枝から枝へとホップしている、飛び交っている姿を意味しています。
● それはまさに2列王記17章33節の状態です。
● 「彼らは主を礼拝しながら、同時に、自分たちがそこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えていた。」
● クリスチャン新聞に面白い記事がありました。ある姉妹が自分は未信者であったが、イエス様を信じた後、信者になったけれど、自分中心、自己中心のミー信者であったと。実にアハブ時代のイスラエルの民がそうなのです。また、私たちもそうではないでしょうか?
● Me(ミー)信者の特徴は何でしょうか?21節でエリヤの問いかけに対して答えられない姿がその特徴です。また、24節のように、答えなくもいいときに答える姿がその特徴です。
● 私の友人がくれたメールで「私の職場に、ある教会の会員で、管理職・最高統括責任者であり、如何にも敬虔なクリスチャンを装いながら、飲酒運転や、金品の不正授受、姦淫を繰り返し、職務は怠慢で、問題を生じた場合は責任逃れと隠蔽工作に終始する者が(複数)います。」とキリスト教主義の病院のクリスチャンの実情を嘆いていました。
● 日本の教会は、また日本人クリスチャンはリバイバルを叫んできました。リバイバルが起こるようにと祈り願って来ました。いえある人は「いやリバイバルはもう来た。来ている。」とまで言いました。しかし、正直になるならば空しい思いが残るのでははいでしょうか?
● リバイバルのために、いえ教会成長のためにいろいろな方法、やり方を模索してきました。しかしそれらは一時のブームにはなっても日本宣教の有効手段とはなってきませんでした。私は手段や方法を否定する者ではありません。開拓伝道者、それも子どもや中高生をターゲットにしていますからいつも彼らと関係を築くことができ、効果的に聖書のメッセージを伝える方法を模索しています。しかし、手段や方法は究極的なものではありません。本質的なもの、内側のものが問題なのです。
● アブラハム・カイパーというオランダの首相でもあった神学者は、近代主義(ヒューマニズム)との戦いにおいてこのように語っています。「この様な近代主義に直面して、私たちキリスト者はどうして無力なのでしょうか。なぜ私たちはたえず退却しているのでしょうか。その理由は簡単です。すなわち私たちは、彼らに太刀打ちできる統一をもった生活原理に欠いているからです。しかもそれだけが迫ってくる外敵を撃退することができるのです。」
● カイパーは「生活原理」ということばを用いていますが、最近のことばでは「世界観」と言い換えてもいいかもしれません。「世界観」とは私たちが私たちの住んでいる世界のいろいろなものを評価する方法、価値観と置き換えてもいいかもしれません。
● 今日、教会は、キリスト教は聖書を土台とした聖書的な世界観の構築のために時間を費やさないので、救われてクリスチャンになるけれども、古い世界観の中に続けて生きている、生活しているので、カイパーが言うようにこの世に対して太刀打ちできないでいるのです。
● もちろん私たちの戦いは血肉に対するものではありません。しかし、霊的なことは実際的なことであり、肉体と心と霊をお造りになったのは創造主なる聖書の神であり、これらすべてに「非常に良い」という評価をされたのです。魂が救われたならば、生活のすべてが変化していくのは必然的なことです。また聖霊はそのために力強く働いてくださるのです。
● 今の時代、クリスチャンは聖書的世界観を構築しなければなりません。それこそが実はリバイバルの近道であろうと思います。歴史上のどのリバイバルも聖書なしに起こりませんでした。同じ原則を与えられる神は、今もその原則を用いて働かれます。
● 今日の日本人クリスチャンはアハブの時代のイスラエルの民のようであってはならないのです。聖書の神はそのような中、必ずエリヤを起こされます。みなさん、私たちがエリヤ的クリスチャンになろうではありませんか。ならせていただこうではありませんか?
(3) エリヤ的クリスチャン
● それでは、最後にエリヤ的クリスチャンの特徴を学びたいと思います。
● 第一に、悔い改めのあるクリスチャンです。30節を読みましょう。エリヤは壊れていた祭壇を建て直しました。かつてあった主の祭壇、主のみをイエス様だけを礼拝する姿勢に立ち返る姿こそ、エリヤ的クリスチャンなのです。
● 第二に、エリヤ的クリスチャンは献身するクリスチャンです。33節を読みましょう。献身といってもみんなが牧師や宣教師になるということではありません。その身、その存在をイエス様に捧げるということです。心を献げる献心ではありません。心も含めた全存在を献げるのです。ですから献身と書きます。
● 心を、時間を、お金を、気持ちを、人生をイエスキリストの栄光を第一目的として生きること、聖書のことばを基準に生きること、それが献身なのです。そのような生き方こそエリヤ的クリスチャンの生き方です。
● 第三に、エリヤ的クリスチャンは信仰の人です。34、35節で、エリヤは信じられないことをしています。どうしてでしょうか?彼は信じていたからです。信仰の人だったからです。聖書は「見ないで信じるものは幸いです」と語っています。あのアウグスチヌスは「理解するために私は信じる」と言いました。キリスト信仰は、見えない方のおことば、聖書を信じ、これに従って生きていくことです。私たちの周りの世界は聖書と違うことを言い、聖書と違う生き方を示すかもしれません。またそのような生き方をしている人々が栄えているように思えるかもしれませんしかし、エリヤ的クリスチャンは見えるところによってではなく、信仰によって歩むのです。聖書のことばに従って、行って歩むのです。
● 神はこの時代エリヤ的クリスチャンを起こしておられます。アハブ時代のクリスチャンもたくさんいますが、神はエリヤ的クリスチャンを起こし、神の国をこの時代拡大していかれるのです。
● さあ、エリヤの問いかけに今答えましょう。「もし、ヤーウェが神であれば、それに従い、もし、バアル(この世の提供する考えや教えや宗教)が神であれば、それに従え。」
● 祈りましょう。