
賢者は今もイエスを探す
谷口 明法
聖書箇所 マタイ2章1〜12節
● マタイのクリスマス物語では、東方の博士たちが登場します。ギリシャ語では「マゴス」と言いますが、英語ではwise men「賢者たち」とも言われています。聖書には何人の博士たちが来たのか正確な人数は書かれていませんが、その宝物の数から一般的に三人の博士たちと呼ばれ、そのため教会学校のクリスマス劇では三人の博士たちが登場することが多いのです。
● 今日は博士たちを通して学んでいきたいと思います。
(1) 信仰によって
● 神と私たちを結びつけるものは何でしょうか?神の恵みと言う答えは正しいでしょうが、人間の側から言うと「信仰」と答えることができるでしょう。人間のどんな良い行い、業も神と私たちを結びつけるものとはなりえません。聖書は「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。」(ヘブル11:6)と述べています。
● 東方の博士たちは「信仰によって」エルサレムにやってきました。もちろん、彼らがメシア・キリストについてたくさんのことを知っていたとは思えません。また彼らは「その方の星を見た」と語っていますから、聖書の啓示を受けたのでないことも事実です。しかし、彼らには信仰が与えられていました。ですから東方の国からわざわざエルサレムまでやってきたのです。
● 博士たちには信仰がありました。それは星が示したユダヤ人の王は拝む対象であることを信じてやってきているからです。信仰の反意語は不信仰であるでしょうが、恐れであるということもできるでしょう。信仰によってエルサレムに来た博士たちとは対照的にヘロデとエルサレムの人々は恐れたのです。
● エドウィン・コールは「信仰とは見ることができないことが実現すると信じることであり、恐れも見ることができないことが実現すると信じることである。」と言いましたが、博士たちとヘロデの姿にそれが現れているようです。
● 博士たちには信仰がありました。彼らは星に教えられたのですが、星は彼らをエルサレムまでは先導しなかったのです。彼らは信仰によって歩まなければなりませんでした。クリスチャンの歩みも同じです、私たちは聖書のことばを信じ、まだ見ないけれども神の約束を信じて行動するのです。神は一から十まで、手取り足取り私たちを導かれるのではなく、私たちの信仰を成長させるために、みことばを信じて歩ませられるのです。それを通して私たちは信仰において成長していくのです。
● 博士たちは信仰によってエルサレムに着きました、彼らはここではじめて聖書のみことばを聞き、ベツレヘムへと向かったのです。今度はみことばに従う信仰が与えられました。そのとき何が起こったのでしょうか?マルコ16章風に言うならば、「主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」のです。みことばに従った博士たちに星の奇跡が与えられ、星が彼らを先導しました。
● 信仰によって行動し始めたのに何も起こらない、主は何もしてくださらないと不平を言う必要はありません。主はちょうどよい時に私たちの信仰に応え、励ましを与えてくださるのです。
● 「信仰によって」これがクリスマスに教えられることです。
(2) 博士たちから学ぶクリスマスの姿勢
● もうひとつのことを学びましょう。
● 博士たちが星に再び出会い、イエスのもとに来たときの姿から私たちが持つべき3つの姿勢を学びたいと思います。
● 第一に、クリスマスは「喜ぶ」ときであるということです。博士たちは「この上もなく喜んだ。」とあります。もともとクリスマスは異教の祭が起源だから祝うべきでないというクリスチャンたちがいますが、それは正しくありません。かつて異教徒たちは冬から春になっていく太陽のありがたさを覚えながら、この祭りを祝ったのは事実でしょう。しかし、その異教徒たちが義の太陽であるイエスに出会い、イエスを信じ、彼らの祭の本質を変えてしまう奇跡が起こったのです。自然の太陽に対する喜び以上に、義の太陽であるイエスを喜ぶことのすばらしさ、これがクリスマスなのです。
● 第二に、博士たちは幼子イエスを見て、ひれ伏し拝みました。(11節)彼らはエルサレムに来たときからヘロデ王に「拝みにまいりました。」と語っています。博士たちはユダヤ人の王として生まれた方は、ユダヤ人だけの王ではないことを確信していたのでしょうし、人間ではない礼拝の対象であることを信じていたのでしょう。御降誕を知らされ、イエスに出会った羊飼いたちも神をあがめ、賛美しながら帰っていきました。クリスマスは礼拝の時なのです。
● 第三に、博士たちは宝の箱を開けて、贈り物を捧げました。クリスマスは捧げるときです。子どもたちはクリスマスプレゼントに思いを馳せています。子どもたちにプレゼントをあげることはとても大切なことでしょう。しかし、最も大切なことはイエスさまに捧げるときとして過ごすということです。博士たちは宝物を捧げました。それはこころを捧げたのです。神がイエスという高価なプレゼントをお送りくださったことを知った者は、このお方に捧げることをはばかりません。
● クリスマスは喜びのときです。クリスマスは礼拝のときです。クリスマスは私たちのこころを神に捧げるときです。賢者たちはそのためにイエスを探し求めてやってきました。今日も、ほんとうの賢者(賢い者)たちはイエスさまを求めていくのです。
● メリー・クリスマス!