第5特質:聖徒の堅忍と保持
さて、今や我らは最後の項目であるカルヴィン主義の第五特質、すなわち「聖徒の堅忍と保持」の項目に入るのである。この教理の概観をつかむべく、バプテストのロンドン信仰告白(1689年)を参照してみよう。この信仰告白はこの「聖徒の堅忍」の教理に関して他の歴史的信仰告白と神学の一致を保っている。ロンドン信仰告白には、この教理に関して、次のように書かれている。
「神が、その愛する御子によって受け入れ、御霊によって有効に召し、潔め、その貴い信仰を与え給うた人々、即ち選ばれた者は、恵みの状態から全面的にも最終的にも落ちることはあり得ない。彼らは、確実に最後までその状態にあって信仰を貫き、永遠に救われている。神の賜物と召しとは、変わることがないからである。・・・」(第17章1項)
次に聖書を見てみよう。「神は予め知り給う者を御子の形に象らせんと予め定め給えり。これ多くの兄弟のうちに御子を嫡子たらせんが為なり。又その予め定めた者を召し、召したる者を義とし、義としたる者には栄光を得させ給う。されば、これらの事につきて何をか言わん、神もし我らの味方ならば、誰が我らに敵せんや。・・・我確く信ず、死も、生命も、・・・この他の造られたるものも、我らの主イエス・キリストにある神の愛より、我らを離れしむを得ざることを。」(ローマ8:29〜31、38〜39)
ドルト会議においてなされたことは、「神の無条件の主権的恩寵の福音の教理」を、簡潔な組織的神学体系として、まとめることであった。すなわち、人間は自分自身を救うことが出来ない。それ故神が人間を救い給う。全ての人が救われる訳ではない。それ故神は、ある者達を救い給わなかった。キリストは、救われる人々の罪の代価を支払い給うた。神は、御自身の選び給うた人々の心に、キリストにある救いを啓示し給う。全ての人は、自分自身を救うことが決して出来ない。ある人々を、主は救いに聖定し、その人々のために死に、有効召命により、その人々を召し給う。そして、御自身の御名の栄光において、その救われた人々を永遠の生命のうちに保持し給うのである。
「全的堕落」、「無条件的選び」、「限定的贖罪」、そして「有効的召命」に引き続いて「聖徒の堅忍と保持」の教理がここで述べられてるのである。「我は、汝らのうちに善き業を始め給いし者(神)の、キリスト・イエスの日までこれを全うし給うべきことを確信す。」(ピリピ1:6)聖書の神の御言葉は、この祝福に満ちた真理についての言及で満ちている。「我を遣わし給いし者の御心はすべて我に賜いし者を、我その一つをも失わずして、終わりの日に甦らするこれなり。」(ヨハネ6:39)「我 彼らに永遠の生命を与うれば、彼らは永遠に滅ぶることなく、又彼らを我が手より奪う者あらじ。」(ヨハネ10:28)「我らもし敵たりし時、御子の死によりて神と和らぐことを得たらんには、まして和らぎて後その生命によりて救われざらんや。」(ローマ5:10)「この故に今やキリスト・イエスに在る者は罪に定めらるることなし。」(ローマ8:1)
キリストに属しているということが信者の証印なのである。すなわち、信者は、キリストにあって信仰のうちに保持され続けるのである。それは、キリストを信ずる者が「ますます励みて召されたること、選ばれたることを堅とう」することである。(Uペテロ1:10)キリストにある信者も、時には試練に会い、誘惑に陥ることがあるかも知れない。しかし、主は、「耐え忍ぶこと能わぬほどの試練に合わせ給わず。・・・(信者が)試練を耐え忍ぶことを得んために、これと共にのがるべき道を備え給わん。」(Tコリント10:13) かくして、信者は、試練より脱出し、誘惑を離れて、再びキリストの栄光を仰ぎ見つつ、救いに至る信仰の道を歩むのである。ローマ8章28節より39節は、神による永遠の救いにおける神の論理を示すことにおいて比類のない程すばらしい箇所である。カルヴィン主義は、この神の論理について述べているにすぎないのである。神は御自身の御旨と目的によって、ある人々を救いに定め給うた。そして、この神の御旨は決して妨げられることなく成就し、神御自身が「予め知り給う」この人々は、永遠に主と一つにされているのである。