[PR]看護師の好条件な求人情報満載:年間50000人の看護師が転職に利用!



第4特質:不可抗的恩恵(聖霊の有効的召命)


 カルヴィン主義の第四特質は、やはり前述のカルヴィン主義の三つの特質の底流をなす論理のもとに、導き出されて来るのである。人は、その全的堕落により自己を救うことが全く出来ない。神は、ある人々を救いに選び給うた。キリストは神に選ばれた人々の救いを成し遂げ給うた。されば、論理的必然として、主なる神が確保し給うた救いに、この選ばれた人々が招き入れられる道がなければならない。「又その予め定めたる者を召し・・・」(ローマ8:30)神は人々を、ただ救いに定め選び給うだけでなく、御自身の御旨によって、この救いに選ばれた人々を救いに召し給うのである。

 不可抗的恩恵(有効召命)とはどういうことを意味しているのであろうか?教会で、野外で、公の場で、神の言葉が読まれ、福音への招き(召命)がなされる時、この召命を、すべての人が心に留める訳ではないことを、我々は知っている。全ての人が自己の罪を認め、キリストの必要性をはっきりと自覚する訳ではない。このことは、救いへの召命は二種類あることを示しているのである。すなわち、召命には「外的召命」のみならず「内的召命(有効召命)」があるのである。「外的召命」とは、言うなれば、「説教者の言葉」である。この「外的召命」は様々のし方で、様々の人々の心に、様々の結果をもたらす。しかし、「外的召命」のみでは、罪人の心の中における、救いのための働きかけは、なされないのである。なぜなら、「外的召命」に、聖霊なる神の「内的召命(有効召命)」が伴わなければ、救いの御業は決して行われないからである。聖霊こそが、「罪について、義について、裁きについて」人にその誤りを認めさせ給う方であられるのである(ヨハネ16:8)。そして、聖霊が御自身の恩恵による「有効的召命」によって、老若男女すべての種類の人々を招き給う時、この召命は不可抗的である。つまり、この有効的召命には人は抵抗することが出来ないのである。すなわち、聖霊のなし給う有効的召命は決して人の抵抗によってくじかれることがないのである。このことこそ、神の不可抗的恩恵のあらわれなのである。

 「有効的召命」について、神の、生命の御言葉は繰り返し述べているのである。次にあげる例はその一部である。

 (1)「父の我に賜う者は皆我に来たらん。我に来る者は我これを退けず。」(ヨハネ6:37)父なる神が、子なる神キリストに与え給う者、すなわち選ばれた人々は、必ず、子なるキリストの、御もとに来ること、そして、この人々が、キリストの御もとに来る時、この人々が退けられることは、決してないということに注目せよ。

(2)「我を遣わしし父引き給わずは、誰も我に来ること能わず。」(ヨハネ6:44)ここで、我らの主は、人は自らの力で主のみもとに来ることは、決してできないことを宣言しておられるのである。人が救われるには、父なる神が「引き寄せ」給わねばならないのである。

(3)「全て父より聞いて学びし者は我に来る。」(ヨハネ6:45)人は外的召命を耳にするかも知れない。しかし、「父から聞いて学んだ者」のみが救いへの招きに応じ、キリストの御みもとに来るのである。シモン・ペテロもそうである。「バルヨナ・シモン、汝は幸いなり。汝にこれを示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。」(マタイ16:17)

(4)「全て神の御霊に導かるる者は、これ神の子らなり。」(ローマ8:14)

(5)「されど母の胎を出でしより我を選びわかち、その恩恵をもて召し給える者(神)・・・」(ガラテヤ1:15)

(6)「されど汝らは選ばれたる族・・・なり。これ汝らを暗きより召して、己の妙なる光に入れ給いし者の誉れを顕わさせんためなり。」(Tペテロ2:9)

(7)「もろもろの恩恵の神、すなわち永遠の栄光を受けしめんとて(受けさせるために)、キリスト・イエスによりて汝らを召し給える神は・・・」(Tペテロ5:10)

 この不可抗的恩恵・有効的召命の教理を裏付けるすばらしい実例がある。それは使徒行伝16章における出来事である。使徒パウロは、ピリピで川のほとりに集まっていた婦人達に、福音を語った。その時「ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いてパウロの語る事に心を留めるようにされた。」(使徒行伝16:14)説教者パウロは、ルデヤの心に語りかけ給うたのである。これが不可抗的恩恵による内的召命である。

 アルミニウス主義者は、「人は、神の福音の召命に対して、断固たる反抗をすることが可能なのであるから、不可抗的恩恵など存在しない」と強硬に主張するのである。我らの信じるところはこうである。すなわち、「人間は神の福音に逆らうことが可能であるのみならず、生まれつきの本性の故に、人間は福音に対して、断固たる反抗をしているのである。それ故、不可抗的恩恵がどうしても必要である。言い換えるならば、我ら人間の生まれつきの本性を、はるかにしのぐ強い力、すなわち我らの反抗をはるかに上まわる偉大な力が、我らの心に働かねばならない。さもなくば、我らは、永遠の滅びの刑罰を受けなければならない。なぜなら、聖書にはこうあるからである。『性来のままなる人は神の御霊のことを受けず。』(Tコリント2:14)」

 人間の救いに関しては、三つの大きな力が働いている。それは以下に示す三つである。(1)人間の意志(2)悪魔の意志(3)神の意志、このうちのどれが勝者となるのであろうか?救いにおいて、もし神の意志が勝利を治めないのであれば、勝利を治めるのは悪魔の意志である。なぜなら、悪魔は、我々人間よりも強いからである。17世紀のピューリタンの神学者であるトーマス・ワトソンは、この問題について生き生きとした描写をもって述べている。「神は福音の戦車に乗り、征服しつつ前進し給う。神は人間の傲慢なる心を征服し、巨大な城砦のごとく立ちはだかる人間の意志を屈服させ降伏させ給う。神は、人の石のごとき心をして血を流させしめ給う。ああ、神の召命は何と力強いものであることか!されば、なぜ故に、ある者どもは、道徳的説得のことについてしか語らぬのであろうか?罪人を改心させるにあたって、神は罪人に対して、道徳的な勧めのみをなさり、それ以上のことは、何も下回らないとでも言うのであろうか。もし、神のなし給うことが、改心において、罪人に対する道徳的説得のみであるとしたならば、神が人間を救い給う力は、悪魔が人間を破壊し尽くす力に及ばないということになってしあうのである。」

 誰の意志が勝者なのか?我ら人間の意志なのか?しかし人間の意志は、巨大な城砦のごとき様相を呈して、神に敵対するものではないか。「しかるに、汝ら生命を得んために我に来ることを欲せず。」(ヨハネ5:40)では、悪魔の意志が勝者なのか?もしそうだとしたならば、一体誰が救われ得ようか。なぜなら、悪魔の意志はいかなる時も、我らの意志よりも強いからである。しかし、その強き悪魔よりも、はるかに強い方が顕われ給いて、御自身の福音の戦車を駆って、征服につぐ征服を成し遂げ給う。主なる神が、まさに、全てを征服し給うことこそが福音なのである!神は、サタンを打ち負かし征服し給う。神は、御自身に比して取るに足らない人間を、征服し給う。神は、全てを征服し給う。不可抗的恩恵を施し給う主なる神は誉むべきかな。





序言
はじめに
第2特質:無条件的選び
第3特質:特定的贖い(叉は限定的贖罪)
第4特質:不可抗的恩恵(聖霊の有効的召命)
第5特質:聖徒の堅忍と保持
結論
トップページ
 


「神の主権による恩寵の教理」(英語タイトル"The Five Points Of Calvinism")は
Banner Of Truth Trust( Edinburgh, Scotland )と聖書真理刊行(Scripture Truth Publications)の許可をいただいて掲載しております。
よって、両社の許可なく無断転載することはおやめください。


(ご感想・ご質問は↓こちらにどうぞ。)
kingdoman777@infoseek.jp

 






[PR]500000円と車プレゼント:今なら無料で現金と新車が当たる大抽選!