
カルヴィン主義4
谷口 明法
● 何度も言いますが、ユース・ハーベスト・チャーチはその信仰、神学において歴史的・保守的であり、伝道法を含む実践においてラディカルでありたいと願っています。
● ですから「神学は必要ない。」という教えや考えに対して、「ノー」を言います。「良い神学は必要であり、学ばなければならない。」と考えます。
● そこで、カルヴィン主義について学んできました。これは大きな神学体系であり、世界観です。オランダの総理大臣になった牧師でもあるアブラハム・カイパーはカルヴィン主義が生活原理であると言いました。ですから数回の学びでカルヴィン主義を学びきることはできませんが、救いに関する分野において「チューリップ」ということで学んでいます。これは「神の主権的恩恵」とも言われます。
● すでに、チューリップのT「全的堕落」、U「無条件的選び」、L「限定的贖罪」、I「不可抗的恩恵」を見てきました。最後の第五特質はPで表される「Perseverance of the Saints 聖徒の堅忍・保持」です。
● 聖徒の堅忍・保持は別のことばで、『永遠の保障』、「一度救われた者は常に救われている」ということばで説明されます。しかし、この信仰に同意できない人たちは、それではいいかげんなクリスチャンができてしまうと言いますが、それはこの聖徒の堅忍・保持を正しく、聖書的に理解していないからです。先ずは聖書を読み、この第五番目の特質を学びたいと思います。
● ローマ8章29〜39節を読みましょう。それでは、聖徒の堅忍・保持とは何かを7ポイント学びましょう。
(1)救われたなら、その信仰は終わりまで続く(続かなければならない)
● 1コリント15章1,2節を読みましょう。神が霊的に完全に死んでいた私たちを無条件に選び、聖霊によって恵みを注いでくださったのですから、神の救いのご計画は失敗するはずはありません。ですから、私たちはしっかりとこの福音を保ち、終わりまで走り続けるのです。
(2)神による私たちの内側の刷新を示す神への従順は最終的救いに必要である
● といってもこれは神が罪を犯さない完全を私たちに要求しておられるのではないということを知らなければなりません。しかし、最後まで救いを保ち続ける人、本当に救われた人は、その外側に神への従順が現れてくることを知らなければなりません。
● 1ヨハネ2章3〜6節(みことばに生きる)、ヨハネ8章31節(弟子となる)
● 新約聖書はクリスチャンが道徳的に変えられ、新しいいのちの内に歩むことを要求しています。
(3)神の選びの民は決して失われない
● これが永遠の保障と言われるものです。神が選び、召してくださったのですから完全な主、主権者、王の王、主の主であられる方がどうして選んだ者を失ってしまわれるでしょうか?聖霊の力によって救われた私たちは聖霊の力によって最後まで保持され、保障されるのです。ローマ8章28〜30節をもう一度読みましょう。
(4)離れていくクリスチャンがいるが、それが続くなら、その人の信仰は純粋ではなく、神によって生まれていなかったことを示している
● これはすべてのクリスチャンという人がクリスチャンであるわけではないということです。しかし、同時に一時的に離れる人でも神によって選ばれているなら必ず信仰はリバイバルするということでもあるのです。(1ヨハネ2章19節)
● ルカ8章9〜14節には4つの土壌のたとえがあります。しかし、良い土地はみことばを聞きたくさんの実を結ぶのです。
(5)神は私たちの人生の最後を見てから義を宣言されるのではない
● なぜなら、始めの信仰の従順が神によって義と認められるからです。(ローマ4章3節、ローマ5章1節)
● もしそうでないなら、私たちは努力し、神に認めてもらい、やっとのことで、最後に神の義をもらえるかどうか分からないということになり、信仰はビジネスのようなものになってしまいます。
● わたしたちは神から先に義を宣言していただけるので、安心して、確信を持って神を信じ、みことばに従って歩む人生を送るのです。
(6)神は選びの民を保つために働かれる
● 恵みによって救われた私たちを、神はその後放っておかれるのではありません。神は継続して、主権的恵みをもって私たちの人生に働かれ、導いてくださるのです。
● 1ペテロ1章5節、ユダ24、25節、ピリピ1章6節
(7)それゆえ、私たちは召しと選びを確かにするために熱心でなければならない
● 2ペテロ1章10節
結論
● この教えを全部知っていても救われていない人はいます。この教えはただ、頭で理解するということではありません。心が勝ち取られなければならないのです。
● ほんとうにこの聖書の教えを心で理解した人は慰められ、主のために生きるようにと変えられていきます。なぜなら神の主権的恵みのすばらしさを知ったからです。
● 何の功績もない、神にとってメリットもない私たちを愛し、憐れんでくださった神、そして継続して恵みを注ぎ導いてくださる神に感謝し、歩んで行こうではありませんか。