
カルヴィン主義3
谷口 明法
● 今年に入ってユース・ハーベスト・チャーチの信仰について学んでいましたが、しばらくそのシリーズから離れていました。今日は、元に戻って学びをしたいと思います。
● 多くの福音的クリスチャンが「神学は必要ない。」と言います。この表現について私の応答は「イエス」であり、「ノー」です。「イエス」であるというのは、私たちには悪い神学が不必要であるということです。歴史的、聖書的信仰を否定するような神学は必要ありません。また、「神学は必要ない。」という表現に「ノー」であるというのは、私たちには良い神学が必要なのです。
● 神学とは英語でTheologyであり、ギリシャ語から来ていますが、文字通りに「神を学ぶ。」ということ、「神を知る。」ということです。「神学は必要ない。」という人が「悪い神学は必要ない。」という意味で使っていないなら、「神を知る必要がない。」と言っているのですから、それに対しては「ノー」と言わなければならないのです。私たちは神を知り、そのために神のことばである聖書を学び続けなければならないのです。
● ユース・ハーベスト・チャーチは神学において保守的・歴史的・正統的であることを願っています。しかし、実践面において聖書を土台とし、ラディカルでありたいのです。多くの教会が神学的にリベラルであり、実践面において保守的、歴史的であるか、神学においては無関心で、実践面においてラディカルであるかのどちらかが多い中でのチャレンジであると考えています。
● ユース・ハーベスト・チャーチは「神の主権的恵みの教理」を信じています。これは聖書が語り、アウグスチヌスが語り、宗教改革者カルヴァンが語ったものです。それを覚えやすくするために頭文字をとって繋ぎあわせtulipと言ったりします。今日は第四の特質、iで始まる不可抗的恵みを学びたいと思います。
● すでに、第一特質の「全的堕落」(Total Depravity)、第二特質の「無条件的選び」(Unconditinal election)、第三特質の「限定的贖罪」(Limited Atonment)を学びました。私たちの救いは神から始まっているのであり、神中心の理解をしていくときに、私たちは真に聖書を理解し、聖書の神を理解することができ、それによって豊かな慰めを受けるのです。
● さて、第四特質に入るために、聖書を開きましょう。使徒の働き16章11〜15節を読みましょう。
(1)不可抗的恵みとは何か
● 「恵み、また恩恵」とは何でしょうか?それは価なしに受ける好意です。私たちが会社に勤め、会社のために仕事をし、毎月お金をもらうのを恩恵、また恵みとは言いません。それは給料であり、自分の行いに対する見返り、受けるべき分だからです。しかし、何の働きもない者が受取る好意は恵みなのです。私たちを造られた神に対して反抗し、神を無視して生きようとする、いえ自分を神として生きようとする私たちは永遠の地獄の火を受けるにふさわしいものなのですが、1ヨハネ4章10節にあるように、私たちが神を愛していない時から、私たちを愛し、私たちの罪のために、十字架で御子イエスキリストが死なれたことによって、私たちは救いへと招かれているのです。これこそ価なしに受ける神のご好意、恵み、恩恵なのです。
● この神の恵みには「不可抗的」ということばが付いています。不可抗的とは何でしょうか?それは、「神がある人々を救うように選び、憎む思いから愛する者へと変えるために聖霊をお送りになると、だれも神に抵抗できない。」ということです。
● ある人は「不可抗的」ということばを聞くと、自分がしたくないことを無理やりさせる神をイメージしてしまうかもしれません。神は人々を無理やり引きずって天国に入れ、力を用いて、強制し人間の意志に暴力を振るうというように。しかし、これは不可抗的恵みの不可抗的の意味ではありません。別のことばを用いるなら、「有効な」(effectual)とか「確実な」ということができます。これを「有効召命」(effectual calling)とも呼びます。使徒の働きの16章で紫布の商人ルデアの心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされたのは神ご自身だったのです。神がルデアの心に働いてくださったので、彼女は心を開くことができ、信仰を持ちました。
● あるクリスチャンは、「いえ、神は人間に自由意志を与えてくださっているので、不可抗的恵みではなく、人は自分の意思を働かせて、選び取るのだと言います。しかし、考えてください。人間はみな全的に堕落しています。その意思においても堕落している、霊的に死んでいるのです。そのような存在がどうして正しく、自分の力で意思を働かせることができるでしょうか?神が召してくださり、豊かな恵み、ご好意を注いでくださる以外にないのです。ああ、何という恵み、何という慰めでしょうか?
(2)聖書的根拠
● ユース・ハーベスト・チャーチは聖書主義に立ちます。ですから、不可抗的恵みの教えの土台も聖書でなければなりません。
● 第一に、ヨハネ6章37、44節を読みましょう。イエスがここで言っておられるのは、父がある人々をイエスに与えられたこと、彼らの一人一人がみな「わたし(イエス)に来る」ことです。「皆イエスのもとに来る」ためには神が不可抗的にそうさせてくださるからなのです。
● 第二に2コリント4章4〜6節を読みましょう。ここで信じられないというのはただ、信じるということに意思を働かせていないということではないということを教えています。信じられないとは、この世の神、悪魔がその人の思いをくらませているというのです。しかし、6節にあるように、人の心に「光が、やみの中から輝き出よ」と言われたならば、その心を神が照らし、神の栄光を知る知識を輝かせてくださるのです。
● 第三にヨハネ3章8節は不可抗的恵みを教えています。人間の誕生を考えたときに、自分の意思で生まれるのを拒んでいる赤ちゃんというのはばかげたことです。同じように霊的な誕生も聖霊が働かれたときに、それを拒むことはできないのです。
● このように、不可抗的恵み、恩恵は聖書の教える教え、教理なのです。そして神が主権的に選び、聖霊によって有効に召してくださるので、人は確実に救われるのです。それゆえ私たちは神に心から感謝しましょう。
(3)不可抗的恵みに関する注意
● 神の不可抗的恩恵なしにはだれも救われません。しかし、このことのために、人は何もする必要がないという合理主義的な罠に捕らえられてはならないということです。すべては神次第、聖霊の働き次第なのだから、自分から信じる必要はないとか、待っていればいいというように考えてはなりません。
● 聖書は不可抗的恩恵を教えていると同時に、私たちに「信じなさい。」ということも勧めています。また、クリスチャンには人々にイエスを証しすること、伝道することを命じています。私たちは神が主権的に働かれることを信じて、確信と感謝を持って、人々にイエスを宣べ伝えるのです。