ピンチ・ダ・ヴィンチ・コード!
★5月20日(日本時間)から世界同時
公開で「ダ・ヴィンチ・コード」の上映が始まりました。日本国内でも過去最高の規模となる全国863スクリーンで上映されています。この映画はトム・ハン
クスがハーバード大学の教授という役柄で主演する、ルーブル美術館館長の殺害をきっかけに、キリストの秘密が明らかになるミステリーということと、この映
画の原作がアメリカで750万冊も売れた大ベストセラーです。
★しかし、この映画はみなさんもご存知
のようにキリスト教会から激しい抗議を受けています。たとえば、カトリックのある団体は、関連会社が映画を配給しているソニーの全製品の不買運動を映画公
開に合わせ19日から始めることを明らかにしました。同団体の広報担当は「映画はカトリックを敵視している。世界のカトリック信者10億人規模のボイコッ
トにしたい」と述べ、インターネットやメディアで参加を呼び掛けると話しています。
★どうしてこれほどまでにキリスト教か
らの抗議を受けているのでしょうか。それは、キリストが子どもをもうけ、教会はその事実を隠してきたという内容が小説にも映画にも出て来るからです。
★しかし、ある人たちはこの小説はフィ
クション(空想)だから、そうめくじらを立てる必要がないだろうと言います。さて、問題はフィクションだからそれでいいというものでしょうか?いつも抗議
を受けると作家や映画監督は同じようなことばのごまかしに逃げます。覚えているでしょうか?「バトルロワイアル2」が抗議を受けたとき、深作監督は、「こ
れはエンターテイメントだから。」と言い逃れをしたのです。小説家や映画監督は登場人物を用いて何をしようとするのでしょうか?ただ、みんなを楽しませよ
うとしているのではありません。登場人物を通して、小説家の、また映画監督の思想を読者に、聴衆に伝えようとしているのです。
★ダン・ブラウンは「この小説における
芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」と書いています。また、「この小説は、どのくらい事実に基づいているのですか。」というインタビューに答え
て、ダン・ブラウンは「小説に登場する絵画や史料や組織は
すべて実在します。絵画や建物の写真は、美術書やわたしのウェブサイトで見られます。言うまでもなく、登場人物や筋立ては架空のものです。」と答えていま
す。あなたは、このことばを聞いて、この小説、映画がフィクションだと納得するでしょうか?
★ここに面白い調査があります。
★17日付の英紙デーリー・テレグラフ
は、世界的ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ人の6割が、小説の筋書きに沿い、イエス・キリストには子どもがいて血筋が続いている可能性
があると信じているとの世論調査結果を掲載しました。同紙は、この調査結果が、同名映画の封切りを前に「『ダ・ヴィンチ・コード』は作り話だ」と大規模
キャンペーンを始めたキリスト教会指導者らに衝撃を与えたとしている。調査結果では、36%の読者がカトリック教会はキリストについての真実を隠ぺいして
いると信じていると回答しました。みごとにダン・ブラウンはイギリス人に彼の考えを植え込んだでしょう?
★ダン・ブラウンは小説(映画)がフィ
クションだとしながら、それは、資料の存在する事実を空想の登場人物を用いて表現したと言っているわけですから、確信犯なのです。ここに抗議の理由があり
ます。
★では、小説や映画が事実を語っている
とするなら何が問題なのでしょうか?たくさんの問題があります。「反」ダ・ヴィンチ・コード本やDVDがたくさん
出ています。詳しく知りたい人は読むといいでしょう。今日は2つのことだけおさえておきましょう。
(1)イエスはマグダラのマリヤと結婚
して、子どもをもうけていたか?
★ダン・ブラウンの考えによると、イエ
ス・キリストはマグダラのマリヤと結婚していたし、子どももいたということです。なぜなら、ユダヤ人の教師たちはみな結婚していたし、イエスにいつもつい
ていたマグダラのマリヤと結婚するのは自然なことだったというのです。
★マタイ27章はイエスの十字架の場面
です。55、56節を読んでみましょう。「そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベタイの子らの母がいた。」とあります。イエスさまのまわりには、女たちがたくさんいまし
た。汚れた思いをもってイエスやマリヤを見る人たちだけに、ダン・ブラウンのようにイエスやマリヤが見えてくるのです。
★また、マグダラのマリヤがイエスに特
別視される必要はないのです。パウロは言います。「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリス
トにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜな
ら、あなたがたはみな。キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束
による相続人なのです。」(ガラテヤ3章26〜29)
(2)キリスト教の中心はキリストだ!
★ダン・ブラウンはダ・ヴィンチを使っ
て、何とか聖杯やマグダラのマリヤに人々の目を、また心を向けさせようとします。これは反キリストが使う常套手段です。
★聖杯とは何でしょうか?それは、ぶど
う酒を入れたカップです。ぶどう酒とは何でしょうか?それは、イエスキリストが十字架上で流される血を現わしています。イエスは最期の晩餐の時にカップを
まわす前にこのように言われました。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」
(マタイ26:27,28)
★ですから、大切なのは聖杯ではありま
せん。聖杯の中身です。しかし、その中身のぶどう酒も象徴でしかありません。それは、キリストの十字架で流された血を示しています。ぶどう酒を飲むという
のは何を象徴しているのでしょうか?それは、キリストを飲むこと、すなわち信じること、その十字架を信じ、罪の赦しを受けるということを示しています。
★ですから、私たちはヒトラーのよう
に、インディー・ジョーンズのように聖杯を探す必要はありません。
★そうです。キリスト教は聖杯でも、マ
グダラのマリヤでも、特別な儀式でも、神秘的な経験でもなんでもありません。キリストご自身なのです。しかし、パウロはピリピ2章21節で言いました。
「だれもみな自分自身のことを求めるだけでキリスト・イエスのことを求めていません。」
★罪人はみなキリストを求めません。な
ぜなら、キリストを求めるなら、そこにキリストとの関係から来る行動が伴うからです。みな自分のことを求めるだけなので、自分の好きなように人生を生きた
いのです。そのために、キリストではなく、その周辺のものを求めるか、キリストを否定するのです。
★イエスは言われました。「もしあなた
がたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
★私たちを自由にするのは、ダ・ヴィン
チではありません。マグダラのマリヤではありません。ましてやダン・ブラウンではありません。イエス・キリストこそ、私たちの救い主、創造者、導き手、解
放者なのです。
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