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黙示録の執筆年代: イレナエウスの証言を再考する
by ドン・プレストン

黙示録の 後期執筆年代 (95〜98年)を証明するために今日用いられている証拠の中心はイレナエウスの証言です。イレナエウスは175〜190年までリオンの監督でした。彼は ポリュカルポスの弟子であり、ポリュカルポスは使徒ヨハネの弟子でした。

ギリシャ語で書かれたイレナエウスの 著書で現存する完全な コ ピーはありません。存在するのはイレナエウスの著作からの直接引用だと思われる4世紀の歴史家エウセビオスとギリシャ語で書いた他の人たちの著作です。学 者たちが所有する唯一の完全なイレナエウスの著書は4世紀のラテン語訳のコピーです。このラテン語の写本はマックリントックとストロングの聖書辞典が 「バーバリック・ラテン」と呼んでいるもので、イレナエウスの著作としては「現在はかなり不確か」とされています。

ここで言おうとしていることは、黙示 録の後期執筆年代を強 力にサポートするまさにその写本自体が疑問の余地があると言うことです。イレナエウスのラテン語写本が彼自身のことばの正確な叙述であるのかどうか学者 たちには分らないということです。この事実だけでも、黙示録の後期執筆年代を裏付ける決定的一言としてイレナエウの証言を受け入れる前に再考の余地を残し ます。

イレナエウスの証言を受け入れること に関して注意すべきも うひとつの要因は、後期説がよって立つ証しを彼が聞いたのがまだ彼が子どものときであったと認めていることです。そして彼は聞いたことを書き留めてはいな かったのです。黙示録の後期執筆年代は小さな子どもによって証言されている出来事に関する証言に主として頼っているのです。そして50年以上も経って思い 出し、記録したのです。

以上がイレナエウスの証言についての 予備的な事実です。し かし私たちは黙示録について彼が語ったことについてはまだ検討していません。私たちは次の記事でそれを試みたいと思います。上記の要点はイレナエウスの証 言が全幅の信頼をおいても良いというようなものではないということを読者が理解することを助けることです。もちろん彼は無謬ではありません。私たちが手に する重要な出来事の記録は疑問の余地があります。証言者である彼自身が自分の関わったことが小さな子どものときに経験した出来事の思い出であることを認め ています。イレナエウスの証言はよく注意して考察されなければなりません。

イレナエウスは信頼できる証人でしょ うか?

イレナエウスについて言われていることで大変小さなことではありますが、彼は「一風変わった人」でした。彼はディスペンセーショナリズムとは違った形では ありましたが、徹底した「千年王国論者」でした。そしてその「千年王国論」は大変物質主義的です。彼は未来の王国において「ぶどうはそれぞれが1000の 枝を つけ、それぞれの枝は10000の小枝をつけ、それぞれの小枝はまた10000のもっと小さな枝をつけ、それぞれがまた10000の房をつけ、その房には 10000の実が実り、そのぶどうの実から25立方メートルのぶどう酒ができます。同じように、小麦の粒は100000の穂を実らせ、そ れぞれの穂は10000の粒を実らせます。それぞれの粒から10ポンドの小麦粉が生産さる。」と信じていました。 [Against Heresies, Book V:33:3 in Early Church Fathers, Cyril Richardson editor, p. 394-395.]

すばらしいビショップは論理付けのた めに、いくつかのとて も不思議な解釈方法を用いました。彼は4つの福音書が書かれたのは世界に四隅あるためだと主張しました。4方向の風があり、世界には四隅あるのだからそれ ぞれ四隅のためにひとつひとつが書かれているので、4つの福音書がなければならないと主張しています。

教義的なことがらだけで、風変わりな のではなく、歴史的な ことがらにおいても十分信頼できるというのではありません。イレナエウスはイエスがそのミニストリーを50歳を越えるまでされたと信じています。そして使 徒ヨハネはアジアの教会の「長老たち」にこの「真理」を伝えたと言っています。

私たちはイレナエウスによる多くの奇 抜な考えや全く歴史的な、また教理的な誤りの一覧を作ることができました。これが大切なことです。イレナエウスは霊感されていません。彼が小さかったとき に経験した出来事を思い出して記した人にしか過ぎません。そしてたくさんの分野で正確さを欠いていることを示しています。ですから、どうして私たちは黙示 録の著作年代に関しての彼の証言を疑わずに受け入れることができるでしょうか?さらに言うなら、聖書自体の内的証拠を無視して、イレナエウスの証言を受け 入れるべきなのでしょうか?

イレナエウスは興味深い読み物ではあ ります。しかしイレナエウスが今日、黙示録の著作年代の最終的権威として用いられようとするならば、信頼性が薄いことが見出されなければなりません。

イレナエウスが黙示録の著作年代に関 して語っている(と思われている)ことは何でしょうか?実際イレナエウスは全く黙示録の年代に触れてはいません。黙示録の獣に関する妥当な引用があること が4世紀の歴史家エウセビオスの5巻の8章に見出されるだけです。エウセビオスはイレナエウスがヨハネについて語っていると言います。「ですから、私たち は反キリストの名前に関しては、正確には断言することはできません。その当時の人々に対してはっきりと知らされるべきであるという必然性があったので、啓 示を与えられた彼によって明言されたのでしょう。それが見られた(理解された)のはそれほど長くない、ほとんど私たちの時代、ドミチアヌス帝の治世の終わ りごろです。」

これは彼のことばのもっとも一般的な 英訳です。(訳者注:英訳を日本語訳しました。)しかし、イレナエウスのラテン語訳が不十分であることとエウセビオスの引用が翻訳されているという不明確 さを思い出していただきたいと思います。

イレナエウスの取り上げているポイン トは啓示をいつ見たかということではありません。そのような議論は的外れです。彼のポイントは黙示録の獣がだれかというものです。私たちがヨハネはその問 題(黙示録の獣はだれか)の解決をしたのだと言われていると理解したほうが、その引用がより内容にあったものとなります。なぜなら、彼はそれほど前ではな い、ドミチアヌス帝の終わりごろに見られた(理解された)のですから。

それがそんなに以前に見られた(理解 された)ことではないということが、どうして黙示録は獣がだれであるかという問題を解決するのでしょうか?これはほとんどばかげたことです。獣がだれであ るのか明らかにしていなのは黙示録自体であるのです。しかし、ヨハネは獣がだれであるかを解決できたのです。なぜなら彼が獣について語った黙示録を書いた その人だからです。

この考えの方が伝統的な見解よりもよ り意味をなします。それはより内容に沿うからです。

この短いシリーズの中で試みた ことは、イレナエウスの証言は黙示録の著作年代に関する最終権威のことばとはならないということを示すことでした。イレナエウスはほんとうに信頼できる歴 史家というわけではありません。ラテン語に訳された彼のことばはかなり疑わしいものとされています。ギリシャ語訳も疑問の余地が有ります。それ以上に、イ レナエウスは霊感されていません。たとえ彼のことばがはっきりしていたとしても、その証言は黙示録そのものよりも重きを置かれてはなりません。以上のこと より、黙示録が紀元70年のエルサレム崩壊よりも後に書かれたのではないという証拠は非常に明白であるということです。


※プレストン師はArdmore Church of Christ(アメリカ、オクラホマ州)の牧師。フルプレテリストの立場から多くの対抗する終末論の論者たちと積極的なディベートを行っている。なおこの 論文はプレストン師の許可を得て翻訳掲載していますので、無断の転載を堅く禁止します。


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