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黙示録の獣Q&A
Q1:黙示録のテーマは何ですか?黙示録1章7節によると「キリストの再臨」ではないでしょうか?
A1:
黙示録のテーマは、彼らのメシアを十字架につけたユダヤ人に対する裁きです。1章7節は再臨について言及しているようですが、実際は紀元70年について
語っています。以下の証拠に注目してください。
(1)1章17節のすぐ前の箇所で、ヨハネは黙示録に記されている出来事は何千年も離れた出来事ではなく、近いことをはっきりと宣言しています。また、同
じ期待をもって黙示録を閉じています。
1章1節「イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリスト
は、その御使いを遣わして、これをしもべにお告げになった。」
1章3節「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」
22章6節「御使いはまた私に、『これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。』と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを
遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべに示そうとされたのである。」
22章10節「また、彼は私に言った。『この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。』」
(2)「雲の乗って来られる」というのは、神が歴史の中で裁きを行われるという旧約の象徴的表現です。例えば・・・
イザヤ19章1節「エジプトに対する宣告。見よ。主は速い雲に乗って、エジプトに来る。エジプトの偽りの神々はその前にわななき、エジプト人の心も真底か
らしなえる。」
(3)この「来られる」とは、彼(キリスト)を突き刺した者たちに対してです。新約聖書は十字架をユダヤ人の責任としています。
使徒行伝2章22〜23節「イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざ
と、あかしの奇跡を行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
あなたがたは、神の定めた計画と神の予知によって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。」
使徒行伝3章13〜15節「アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがた
は、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するよ
うに要求し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。」
使徒行伝5章30節「私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。」
使徒行伝7章52節「あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られる事を前もって宣べた人たちを殺しまし
たが、今あなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。」
使徒行伝10章39節「私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。」
1テサロニケ2章14〜15節「兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったのです。彼らがユダヤ人に苦しめら
れたのと同じように、あなたがたも自分の国の人に苦しめられたのです。ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出
し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。」
(4)この「来られる」とは、「地上(土地)の諸族」に対してです。「地」ということばは、「土地」とか「陸地」を意味します。
(5)「すべての目が彼を見る」というのは、裁きが公的なものであることを示しています。
(6)黙示録は御座におられる(4章)神が、離縁状を差し出して(5章)おられることを提示しています。神は姦淫のゆえにその妻を裁かれます(6〜9
章)、そして教会という新しい花嫁を受け入れられます(21〜22章)。
Q2:獣の数666を皇帝ネロのヘブル語読みと等しいものとする興味深い解釈をしておられますが、ローマ法王のひとりと同一視する解釈もあったのではあり
ませんか。特にネロであるとする他の根拠はありますか?
A2:
(1)理論上では、この数値はたくさんの名前に当てはまるでしょう。しかし、適切なものでなければなりません。
(2)ヨハネは特に黙示録の出来事が「すぐに起こるはずのこと」(1:1、22:6)と宣言しています。なぜなら、「時が近づいている」(1:3、22:
10)からです。教皇制度は何百年も後に起こったことです。
(3)ヨハネはそのとき、試練の中を通っている(1:9)、歴史上の第一世紀の七つの教会(1:4,11、2章、3章)にあてて書いています。黙示録の叫
びのひとつは、「いつまでですか」(6:10)というものです。その答えは、「もうしばらくの間」(6:11)です。
(4)この数値は本文(666)と異本(616)の両方に一致します。ひとつはへブル語のスペルを用いており(へブル語の文法を持ちて編纂されたたいへん
旧約的なもの)、他方は(明らかにへブル語を話さない読者が理解できるようにした)ラテン語のスペルを用いています。
Q3:黙示録13章において二匹の獣が出てきます。地からの獣と海からの獣です。海からの獣はローマだと
言われますか?また、地からの獣はだれだったのでしょうか?
A3:
(1)(ディスペンセーショナルにせよ、リフォームドにせよ、リベラルにせよ)どの解釈に従っても、第一の獣は一般的にも、特殊的にも理解されなければな
らないと考えられています。それはまるで「キリストのからだ」が一般的に(教会)、また特殊的に(イエスご自身)理解されるように、ローマ帝国政府とし
て、また皇帝自身として理解されます。ですから、第一の獣は皇帝ネロが自身の皇帝としての権威を行使することで成就しました。
(2)第二の獣は第一ものもに従属しています。(a)彼は第一の獣の前で彼の権威を行使し、人々に第一の獣を礼拝するようにしました(13:12)。
(b)彼は10本(1節)ではなく、2本だけ(10節)角を持っているので、その権威は限定的です。(c)彼は「地」(11節)から上ってきて、そこで活
動しました。第一の獣は海から上ってきて(1節)、すべての国々に対して権威を持ちました(7節)。
(3)この獣がだれであるかは第一の獣と同じようにははっきりと分かりません。それはたぶん行政長官のような、地でローマの権威を行使する力を表している
のでしょう。黙示録の状況やその時間設定という光に照らして見ると、これはユダヤ人を残酷なまでに迫害し、ローマに反逆するように迫ったGessius
Florusだと思われます。これが黙示録の歴史的裁きの原因なのです。
Q4:ハルマゲドンの戦いとは何ですか?それは過去のことですか、未来のことですか?
A4:
黙示録の時間設定(まもなく・すぐに)と紀元70年のイスラエルの裁きに焦点を合わせると、ハルマゲドンの戦い(16:16)は紀元70年に当てはめられ
た旧約のイメージです。この戦いはその前に「彼らの主が十字架にかけられた場所」(11:8)と呼ばれているエルサレムである「大いなる都」(16:
19)の崩壊をもたらしました。
Q5:「獣のしるし」とは何ですか?マイクロチップ、レティナルスキャナー、世界統一経済の成長をともなった、人類史上始まって以来の「獣のしるし」を実現するテクノロジーの存在は興味深くあ
りませんか?
A5:
(1)それは次の数節(14:1)にある小羊のしるしよりも字義的であることはありません。
(2)そのようなしるしは支配とコントロールを表わす象徴です。黙示録13章において、そのしるしなしには売りも買いもできません。
(3)それを課した獣は世界に自分を礼拝することを強要する(13:4,8)神的権利を持っています。これは皇帝ネロによる皇帝崇拝のことです。
(4)このとても旧約的書物はご自身の民に神の律法を要求されること(申命記6:8)に対する否定的な反映として、右手ち額のしるしを用いています。
(5)どのような今日的しるしもヨハネの時間設定(近い)や妥当性(迫害される教会)やテーマ(イスラエルの裁き)に反します。
Q6:黙示録11章において、異邦人には42ヶ月の間エルサレムを踏みにじる力が与えられています。このことはいつ起こりますか?
A6:
(1)これは紀元67年の春から紀元70年の9月に起こった神殿の崩壊までの期間のエルサレム包囲のことです。ヴェスパシアンはその地に67年の春に侵攻
しましたが、70年までエルサレムは陥落しませんでした。
(2)それは明らかにヨハネが書いた当時に建っていたユダヤ人の神殿のことであり、イエスのオリーブ山での説教や多くのたとえ話の主題です。
Q7:42ヶ月の間エルサレムに現われるふたりの証人とはだれですか?
A7:
(1) これは黙示録の中でもより難解なことがらのひとつであると認識されています。
(2)
ともかく、これらの証人はその節に書かれている彼らの働きのイメージ(水を血に変える・飢饉・・・6節)から、モーセとエリヤに関連付けられます。
(3)
彼らはまた、ゼカリヤ4:2〜3の金の燭台と二本のオリーブの木の預言と関係しています。その預言はは、ヨシュア(祭司)とゼルバベル(知事)の下での旧
約神殿が再建されたことに関するものです。
(4) 上記のことから、私たちは国家としてのイスラエルの最初の建国と、バビロン捕囚後の再建への言及を見ます。
(5)
ですから、二人の証人は旧い地上のイスラエルに代わって、イスラエルのために新しい秩序が築かれたことを象徴しています。これはイエスキリストの教会で
す。思い出してください。イエスはイスラエルから王国を取り上げて、実を結ぶ国にそれを与えると言われました(マタイ21:43)。キリスト教に対する迫
害にも関わらず、教会は外見上の敗北から立ち上がるのです。
Q8.
どうして黙示録は一世紀に成就したと言うことが可能なのでしょうか?どこで人類の三分の一が殺されたのでしょうか?2億人の軍隊はどこなのでしょうか?空
から星が落ち、月が血に変わったのでしょうか?馬のくつわに届くほどの血に染まった川はどこにあったのでしょう?これらのことが成就したことを示すために
はみことばをくつがえす必要がありはしないでしょうか?
A8:
(1)まずはじめに、ヨハネはその時代にたいへん近い出来事と断言しているのに、どうして2000年の未来に起こる出来事と考えることが可能なのでしょう
か?また、一世紀の教会の試練を扱う書物であるのに、どうしてこのような考えができるのでしょうか?というお応えをしたいと思います。
(2) 私たちは黙示録がきわめて象徴的で、旧約のイメージを土台としていることを忘れてはなりません。
(a)それは示すために与えられました(1:1)
(b)だれもすべてのイメージを文字通りに解釈することはしません。
目で満ちた生き物(黙示録4:6)はどうでしょう?
人間の顔、ライオンの歯、金の冠、さそりのような尾を持ついなご(9:7〜10)。はどうでしょう?
ライオンの頭とさそりの尾を持ち、火と煙を出す馬(9:17)はどうでしょう?
火を口から出す預言者(11:5)はどうでしょう?
10の角と7つの冠を持ち、天から星を引き寄せる、7つの頭を持つ竜(12:3,4)はどうでしょう?
大鷲の翼を持ち、月に立つ女(12:14)はどうでしょう?
水を川のように吐き出す蛇(12:15)はどうでしょう?
4つの獣で構成された7つの頭を持つ獣(13:2)は?竜の口から出てくる蛙は(16:13)は?
血に酔いながら7つの頭を持つ獣に乗る淫婦(17:6)は?
口からするどい剣が出、天から馬に乗って戻って来られるキリスト(19:15)は?
天から下ってくる12000スタディオンの四角い都(21:10,16)は?
(c) ヨハネはイメージを解釈する方法の手がかりを与えています。
1:20 星 = 御使いたち; 燭台は教会
5:6 目は御霊
5:8 香の鉢=祈り
12:9 竜=サタン
17:9-10 頭=山々
17:12 角=王たち
17:15 水=人々
(3) しかしどのようにしてある特別なイメージを解釈するのでしょうか?
(a)
黙示録9章にある殺された人類の三分の一は「地上・土地」(9:1,3)すなわちイスラエルにいる人々の三分の一です。ヨセフスの書いたユダヤ戦記の
4〜6巻を読む必要があります。なぜなら、そこにはおそろしい荒廃の報告があるからです。ヨセフスはイスラエルで110万人が死んだと報告しています。
(b)
二億の軍勢はイスラエルに対するおびただしい数の敵対を描写するための象徴的数字です。イスラエルの滅びは確かでした。その数は黙示録20:8にある「海
辺の砂」以上に字義的なのではありません。「砂」はしばしばたくさんという意味で用いられますが、イスラエルに敵対するヨシュア11:4のカナン人の軍
隊、士師7:12のミデアン人の軍隊、1サムエル13:5のペリシテ人のように、それは具体的な数ではありません。
(c)
星が地上に落ち、月が血のようになるというのは、神の裁きによって支配する権威が崩壊するという旧約の一般的な象徴的イメージです。イザヤ13:10で
は、それがバビロンに当てはめられ(13:1,17)、イザヤ34:4ではエドム(34:5)に当てはめられています。星は昼と夜を「司る」ために造られ
ました。ですから、星は政治と支配のイメージとして使用されているのです(合衆国旗のように)。
(d) 馬のくつわに届く血の川はユダヤ戦争によって流された血を表わしています。
戦記3:10:9:Wars 3:10:9:
彼らが上陸しようとしたとき、反撃された多くの人々が湖で矢によって殺されました。ローマ人たちは船から飛び降り、地上でさらに多くの人々を滅ぼしまし
た。湖は血に染まり、だれひとり逃れられなかったので、死体であふれました。その国には続く何日間もひどい悪臭が漂い、悲惨な光景が見られました。海辺は
座礁した船と膨れ上がった死体で」満ち溢れていました。
戦記4:7:6:ユダヤ人に降りかかったこの破滅は、その後の破滅よりも実際は劣ってはいないどころか、実際よりもひどいものに見えまし
た。これは、彼らが逃れた全土が大量虐殺で満ち溢れ、浮いた死体があふれているヨルダン川も渡ることができなかったという理由のためだけではなく、Asphaltitis湖もヨルダン川から運び込まれた死体で満ち溢れていたこと
によります。
Q9: 黙示録の大いなる都とはだれですか?
A9:「大いなる都」は淫婦と呼ばれ、バビロンと名づけられています(17:5)。黙示録の時間設定とテーマに従うなら、この大いなる都はエルサレムに違
いありません。
(1)
最初に言及されているのは11章8節です。「大いなる都」はイエスが十字架に架けられた場所です。エルサレムは聖書の歴史において契約的立場のゆえに、
「大いなる」ものでした(哀歌1:1、エレミヤ22:8参照)。
(2)
旧約の淫婦が意味する背景はエレミヤ3章にあります。そこで、神はイスラエルを姦淫を犯す売春婦と呼び、(黙示録のように)離婚の兆候を示しておられま
す。ヨハネが黙示録で淫婦の額を記した(17:5)とちょうど同じように、エレミヤはイスラエルが遊女の額があることを記し(エレミヤ3:3)ています。
(3)
黙示録の淫婦は聖徒たちの血に酔いしれています(黙示録16:6、17:6、18:24)。「また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者
の血が、この都で流されたからである。」(18:24)。これは完璧にイエスのイスラエルに対する言及と類似しています。
「それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打
ち、また町から町へと迫害して行くであろう。こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地
上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。」(マタイ23:34,35)
(4) 淫婦の身につけているものは赤、紫、金というユダヤ人の祭司的な色(出エジプト28、黙示録17)を示しています。彼女の額に記された名は大祭司の額のティアラ(出エジプト28:36〜38)を
思い出させてくれます。
(5) 新約聖書はヨハネがしているように、「下のエルサレム」と「上のエルサレム」を対比させています
ガラテヤ4:24、へブル12:18)。大いなる都が崩壊する時、それは「天からの新しいエルサレム」に取って代わります(黙示録21)。新しいエルサレ
ムは明らかに古いエルサレムに取って代わるのです。
(6)
ヨハネは一方は他方の反対のイメージだということを示すために、バビロン的淫婦と天のエルサレムを並べました。それは古いものに対する新しいものという関
係であるに違いありません。
黙示録17:1「それから、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりがきて、わたしに語って言った、『さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対
するさばきを、見せよう。』」
黙示録21:9「最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、『さあ、きなさい。小羊の妻なる花
嫁を見せよう。』」
黙示録17:3「御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。」
黙示録21:10「この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下っ
てくるのを見せてくれた。」
Q10:地上の商人たちはだれも商品を買う者がいないので、エルサレムが見捨てられたと泣き悲しんだ(黙示録18)ということが歴史に記録されています
か?
A10:泣き悲しんだ人々は、「地上の商人」であり、「その土地(イスラエル)の商人」のことです。
Q11:あなたの立場は国家としてイスラエルが再び出現したと言う重要性を対象外にしているようです。さらに、主を十字
架につけた人々として、イスラエル
をバビロンの淫婦と考えています。あなたのような立場は反イスラエルや反ユダヤ的な立場と結びついているのではありませんか?
A11:
(1) 国家としてのイスラエル
(a)
はい、聖書の預言が続いている限り、イスラエルの国家としての重要性について書きます。しかしこれは、ユダヤ人には大きな喜びとなる大変重要な政治的出来
事でしょうが、預言的な重要性はありません。
(b)
このことに預言的重要性があると考えている人々は、将来に旧約の犠牲制度も回復されることを期待しています。それが新約聖書では劇的にキリストの犠牲に
よって成就され、二度と回復されないと宣言しています(へブル8:13)。
(2) 反ユダヤ主義
(a)
反ユダヤ主義とはユダヤ人への迫害と搾取についての道徳的な非難です。過去派解釈とはただ2000年前の出来事を歴史的に解釈するということです。福音的
な過去派解釈を支持する人々はユダヤ人を迫害を一人として願いません。事実、私の後千年王国説の終末論はある時、ユダヤ人たちがキリストに立ち返り、神を
賛美するようになることを期待します。
(b)
人気のあるディスペンセーションの教えは未来に対するユダヤ人に対する見解が異なります。ユダヤ人の三分の二はまもなくやってくる裁きによって滅ぼされる
のです。ですから、私は過去派の見解の方がディスペンセーションのものよりもずっとユダヤ人にとって希望があると思います。
(c)福音派の人々はこの反ユダヤ主義という非難に関して注意する必要があります。反ユダヤ主義ということばのの社会学的分析の中心は、キリスト教は
本来反ユダヤ主義であると宣言しています。なぜなら、キリスト教はイエスを信じる者だけが天国に行けると主張するからです。
事実、反ユダヤ主義の中心的分析者は新約聖書の著者たちは反ユダヤ主義者だと非難しています。( John Dominic Crossan, Who
Killed Jesus? Exposing the Roots of Anti-Semitism in the Gospel Story
of the Death of Jesus (1995) and Dan Cohn-Sherbock, The Crucified Jew:
Twenty Centuries of Christian Anti-Semitism (1992, esp. p. 12). qv.)
Q12.
あなたの黙示録の見解、すなわちネロとローマ軍の怒りに直面しようとしている初代教会に警告と励ましを与えるためのものというのは、教会がその当時そのよ
うな状態であったということが分らないならば、ほとんど意味をなさないように思います。そうであったという証拠はあるでしょうか?
A12.
(1)
皮肉にもこの質問は未来派が教えていることに間違いがあることを明らかにします。それは、一世紀の聴衆に対して黙示録は適応する必要があることを認めさせ
ます。過去派解釈は全く妥当なことなのです。
(2)
この種の質問には過去派解釈が害を受けないようにネガティブな答え方をしましょう。私たちは福音書から弟子たちが、よくイエスの教えを誤解し、イエスが死
んで甦られるということに驚いたことを知ります。黙示録の中でさえ、イエスは「御霊が諸教会に言われることを聞く耳」を持たないことで、教会を叱責してお
られます。イエスは彼らが聞くことに鈍く、最初の愛から離れてしまったことを懲らしめておられます。霊的な鈍感さは神からの啓示の有効性を取り去ったりは
しません。全体としてのユダヤ人は、それが旧約聖書にはっきりと預言されているのに、メシアの到来を見落としてしまいました。主観的な理解が客観的な現実
を決定するのではありません。
(3)
ローマとユダヤ戦争についての黙示録の警告はこの書物の中だけで見出すことのできるものだというのではありません。この問題はオリーブ山上での説教(マタ
イ24)、イエスのたとえ話(マタイ20〜23)、新約聖書の他の箇所(2テサロニケ、ヘブル、ヤコブ、1ペテロ)の迫り来る裁きについての警告の中にも
見つけられます。クリスチャンもこれらの箇所を理解したのかどうかという質問が合法的になされるかもしれませんが、文法的釈義が正しい解釈を導くのであっ
て、初代教会のクリスチャンの歴史的理解が解釈を導くのではありません。
(4)残念ながら、エルサレム崩壊によってもたらされた混沌状態のために、私たちはユダヤ戦争とそのすぐ後の時代のキリスト教の記録がほとんど持ちませ
ん。ですから、彼らがどのように信じていたのかという情報を与える時代のからの資料がほんとうにありません。しかし、イスラエルとエルサレムに対して下さ
れた裁きを初代教会のクリスチャンがどのように理解していたかという後の時代の資料から知ることができます。特にエウセビオスはユダヤ戦争が勃発した時、
彼らが逃げたことを記しています。また、それよりも後のいくつかの資料も、黙示録の出来事がユダヤ戦争(黙示録のシリア訳はネロ帝治世の下で黙示録が書か
れたことを示しています。)に言及されたものであることを示しています。
(5) 黙示録の目的はエルサレムから逃れるための緊急の警告以上のことを含んでいます。他の大切なことがらも示しています。
(a)それは、教会の本拠地(使徒行伝8,15)であるエルサレムの崩壊の説明をしています。
(b)
それは、神の民に対する気遣いと関心を現わしています。神は試みと迫害を通して神の民を回復し、守られるのです。ですから、神の敵は警告を受け、神の民は
励まされるのです。
Q13.
もしヨハネの黙示録がエルサレムの崩壊後に書かれたのならば、あなたの議論の全体はこなごなになってしまうように思います。ヨハネの弟子たちの幾人かが生
きていた同時期に生きていた偉大な教父であるイレナエウスの、「エルサレム崩壊から20年以上経った、ドミティアヌス帝の治世の間にヨハネのパトモス島へ
の流刑はあった」という有名なことばを、あなたはどのように考えますか?
A13.イレナエウスのことばはこれです。「ところが、反キリストの名前に関しては積極的に断言する危険を負うことはないでしょう。この今の時代に彼の名
がはっきりと明らかにされるべき必要性があるならば、黙示的な幻を見た彼によって告げられたでしょう。それが見られたのは、それほど前ではない、ほとんど
私たちの時代、ドミティアヌス帝の治世の終わりです。」イレナエウスは紀元180年ごろこのように書いています。
(1)
「見られた」というのは文法的に不明瞭です。それはヨハネがそのとき生きていたのが見られたのか、そのときヨハネが啓示を見たのか、どちらの意味に
もとれるからです。文脈はヨハネが見られたことを提示しています。結局、黙示録がヨハネに与えられたときはどのような違いを生じさせるのでしょうか?ポイ
ントは、ヨハネは生きていたなら、人々は反キリストがだれなのか尋ねることができたのです。それがいつ書かれたにせよ、ヨハネは黙示録の中ではっきりとだ
れなのかを明らかにすることができたのです。
(2)
いろいろなところで、イレナエウスはいくつかの写本が「666」であったり、「616」であることの問題を取り扱っています。さて、ここでこの数字はすべ
ての良い、また古い写本に見出されるのですから、どうして原本が「ほとんど私たちの時代」に書かれたのなら、黙示録の写本を古いということが可能なので
しょうか
(3)
イレナエウスは同じ種類の証拠を主張しています。イエスが50歳を過ぎるまでの15年間ミニストリーをしたという、ヨハネを知っている人々による引用文で
す「30歳というのは若い男の精神の初期段階です。40代になって人々は認めるようになります。しかし、40代、50代を越えて、老年時代に入り始めま
す。それは福音書やすべての長老たちの証言のように、私たちの主が教えられた時でした。」ですから、イレナエウスがドミティアヌス帝の治世の終わり頃にヨ
ハネが黙示録を書いたことを意味したとしても、事実はイレナエウスは間違いを犯したという
ことです。
Q14.あなたはいくつかの興味深い、説得力のあるポイントを上げられましたが、黙示録はいくつかの違っ
たレベルに分け
られると考えることはできないでしょうか?ひとつのレベルとして、これから起ころうとすることを、一世紀の教会に教えたが、今日生きる私たちにも、これか
ら起こることをはっきりと語っていることはないでしょうか?黙示録の預言の「二重の成就」ということはないのでしょうか?
A14.いいえ、それはありません。すくなくとも2つのはっきりした理由があります。
(1)
黙示録自体が、出来事は近いと主張しています。それに対してだれが、「その通りですが、しかし・・・」と言うことができるでしょうか?ダニエルに対して天
使はこの書の預言は後の時代のために「封じておけ」と言いましたが(ダニエル12:4)、ヨハネには「時が近づいている、この書の預言を封じてはいけな
い」と命令しました(黙示録22:10)。もし二重の成就の教えを取り入れるならば、それは釈義的な帰結としてではなく、神学的な絶望感のゆえにそれをす
ることになるのです。
(2)
黙示録に書かれている詳細のすべてが二度起こることを信じるべきならば、2つの封印された巻物、二匹の獣、14万4千人の2つのグループ、二組のふたりの
証人、2つのハルマゲドン、2つの千年王国を信じなければなりません。そして、まだまだ細かく列挙されなければならないのです。
Q15. サタンがつながれることについてはいかがでしょうか?(黙示録20章)サタンはすでにつながれていると言われるのでしょうか?
A15.
その通りです。聖書が教えるように、サタンは一世紀につながれました。
(1)
イエスはこのように教えられました。「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているので
す。強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、
その家を略奪することができるのです。」(マタイ12:28〜29)
(2)キリストは「サタンが諸国の民を惑わすことがないように」(黙示録20:3)するという
明確な目的のためにサタンを縛っておられます。旧約聖書においてはイスラエルだけが、まことの神を知ることができました(詩篇147:19〜20、アモス
3:2、ルカ4:6、使徒行伝14:16、13:47)。しかし、キリストの受肉がすべての国々に流れ始める福音としてこれを変えました(イザヤ2:
2〜3、11:10、マタイ28:19、ルカ2:32、24:47、使徒行伝1:8、13:47)。
3)新約聖書はいくつかのイメージを用いてサタンの拘束について語っています。サタンは天から落とされた(ルカ10:18)。サタンは追い出された(ヨハ
ネ12:31)。サタンは私たちの足で踏み砕かれた(ローマ16:20)。サタンは武装解除された(コロサイ2:15)。サタンは無力にされた(ヘブル
2:14)。サタンの仕業は打ち壊された(1ヨハネ3:8)。
※このFAQはケネス・ジェントリー師の許可を得て、翻訳・掲載しております。すべての著作権はケネス・ジェントリー師に、翻訳の著作権は
翻訳者に属します。許可なく転載することは禁じられています。