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  天の万象は崩れ去る:2 ペテロ3章10節
by ドン・K・プレストン

 

契約的終末論(プレテリズム)に反対するための中心的な議論は2ペテロ3章10節の「天の万象は焼け崩れ去り」ということばです。万象 とは物質的被造物の基本的な諸元素であると教えられてきました。これがこの箇所の唯一の解釈でしょうか?ペテロにとって近い将来に過ぎ去っていくと預言 された別の「天と地」の「万象」はないのでしょうか?

この主題に関してたくさんの語るべきことがあります。例えば、ユダヤ人にとってエルサレムの神殿は「天と地」と言われていたことをヨセ フスが語っているa というのはとてもこの主題にとって適切なことです。しかし、この研究は別の時にまわしたいと思います。

この学びはパウロもまた語った天地の万象の崩壊とペテロの宣言を考察することです。(2 ペテロ 3:15-16).

私の議論はとても単純です。ペテロが書いた(2ペテロ3:15~16)のと同じ世界の万象の崩壊と同じことをパウロが書いたということ です。しかし、パウロは世界の万象が過ぎ去るという議論の中で、もっぱら旧い契約のイスラエルの万象が過ぎ去ると書きました。

ですから、2ペテロ3章でペテロは旧い契約のイスラエルの万象が過ぎ去ることを書いたのです。


パウロと万象(諸元素)

パウロは確かに世界の「万象」(stoichea) が過ぎ去ることを書きました。しかし決して物質的創造に言及した用語を用いることはしませんでした。


ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ書はモーセ的世界よりもキリストの世界の方が優れていることを強調しています。ユダヤ人クリスチャンに対して、「私たちもそ れと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。」と語ることで、パウロは律法の下にあった彼らの状態を思い起こさせ ています(ガラテヤ4:3)。パウロがここで世界の万象について語っていることに注目することは重要です。世界と訳されていることばは、コスモスから来て います。このことばが聖書で用いられるときに、ほとんどの人々が物質的宇宙について語られていると考えるのは残念なことです。しかし、この箇所とパウロが コスモスの万象について語るところを見ると物質的宇宙を使徒がこころに描いていなかったのは明らかです。

パウロは物質的な被造世界について語ったのではありません。なぜなら、世界の万象から彼らが自由になったと言っているからです。もし 「万象」が世界の万象を意味するなら、パウロはガラテヤの兄弟たちが物質的な世界から解放されたと言うでしょう。

9節でパウロは「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆 戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」("But now, after you have known God, or rather are known by God, how is it that you turn again to the weak and beggarly elements, to which you desire again to be in bondage?" )と続けています。「万象」は旧い契約の祭儀に関する「教え」だったのです。二度と奴隷となってはならないというパウロの解放と励ましのことばをガラテヤ 5章1~3節と比較しましょう。概念は同一のものです。それは物質世界からではなく、旧い契約からの自由でした。

ガラテヤの兄弟たちはキリストの下に来て、アブラハムの霊的な子孫となることによってそれらの万象(教え)から自由になりました(ガラテヤ 3:26-29; 5:1-4).。しかし、万象(教え)(4:3)が伴う世界(コスモス)のシステムはアブラハムの霊的な子孫を迫害したために追い出されるべきだったので す (ガラテヤ 4:22-32).。ですから、ガラテヤ書においての万象は2ペテロ3章のものと全く同じものであることが分るのです。パウロは世界の万象が崩壊すると 語っていますが、それは旧い契約の世界のイスラエルが崩壊することなのです。b


コロサイ人への手紙
 

ガラテヤ書とちょうど同じように、パウロは旧い契約のシステムを「世界」、そのシステムの教えを世界の「万象(諸元素)」として扱っています。「あのむな しい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世(cosmos) に属する幼稚な教え(stoichea)によるものであって、キリストに基づくものではありません。」(2:8)。

パウロは人は土地、風、火や水によってだまされてはいけないと言ったのでしょうか?人の教えによってだまされるなと彼の聴衆たちに警告 したのは明白です。

これらの人々の言い伝えは(聖書において人々の言い伝えは旧い契約のイスラエルの伝統より注意が向けられるますーマタイ15?)、肉、飲み物、新月の祭り は安息日に関する教えでした(コロサイ2:16)。ですから、世の万象とは旧い契約の戒めだったのです。世界(cosmos)は旧い契 約の世界だったのです。

2章20、21節において使徒パウロは「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、 まだこの世の生き方をしているかのように、『すがるな。味わうな。さわるな。』というような定めに縛られるのですか。」ということを彼ら思い出させていま す。「世の万象」のより明白な定義はなかったかもしれませんが、それらは食べ物や浄と不浄に関する旧約律法でした。

ガラテヤ4章10節とコロサイ2章14~16節には直接の関連性があることに注意を向けましょう。ガラテヤ書で使徒パウロは兄弟たちが再び「世の万象」の 中に取り込まれていると言い、その際立った例は彼らが「日や月や季節や年」の遵守だと言います(10節)。コロサイ書では、異邦人読者に対して、「祭り、 新月の祭り、安息日」に関することで裁かれてはならないと警告しています。ブルースは両方の箇所はどちらも旧約律法について語っていることをはっきりと提 示しています。c これらの箇所の「世の万象」がイスラエルの旧約世界の万象であることは疑いの余地はありません。

その「世界」はまだ存在していました。なぜなら、これらの祭りやその遵守がまだ「まもなく(mellonton)来 るものの影」であったからです(コロサイ2:17)。しかし、パウロは旧約の命令ー万象(諸元素)-「これらはみな、使えば尽きてしまうもの、人間の規定 や教えによっているもの」(コロサイ 2:22)であると言っています。これが「万象」(諸元素)の崩壊に関しての強調された記述であり、それゆえ「世界」は旧い契約のことです。

ガラテヤ書と2ペテロ3章において同様に、万象と世界、また世界の崩壊に関する論議があります。パウロにとっては万象の崩壊と世界の崩壊が旧い契約の世界 の崩壊を意味したことはまったく明白です。そして、忘れないでいただきたいのは、ペテロの万象の崩壊に関する論議はパウロのものと同じだということです。


ヘブル 5:12-6:1-5

へブル書がパウロによる著作であることを考えるなら、この箇所は旧約の教えが崩れ去る万象(諸元素)であるという考えと完全に調和し ます。

始まりのことばはクリスチャンが後に残していかなければならない世界に属していました(へブル6:1)。そして来るべき世界の完成へと向かいます(へブル 6:5)。d ですから、ここに過ぎ去っていく世界ともうひとつのものに対する期待があるのです。古い世界とはメシアの到来を期待し、預言したイスラエルの旧い契約の世 界です。さて、こられらの預言は万象の一部分であり、キリストの最初の原則(教え)でした。新しい世界、来るべき世界はイエスの受難と贖いの業によって始 められました。その贖いの完成はキリストのパルーシア、再臨でした(へブル9:28)。

キリストの最初の原則(万象/教え)は人を完全にすることはできませんでした(ヘブル6:1)。それは人を完全にすることのできなかっ た旧い契約だったからです(へブル7:11、9:12~15、10:1~4)。ですからキリストの最初の原則・・・教え・・・は旧約について言っているの です。

へブル書において旧約の「教え」はそのときでさえ「消えて行く」ものでした(へブル8:13)。キリストは「世(時代)の終わりに」来られました(へブル 9:26)。彼はその古い世界の最初の原則(教え)を廃棄するために、そして完全をもたらすために来られました。古い「天と地」は揺り動かされ揺り動かさ れない王国が残るためでした。(へブル12:25~28)。

ですからへブル書もガラテヤ書とコロサイ書にその「万象」ということばの用い方において一致します。それは旧約イスラエルの基本的教え のことだったのです。ガラテヤ書、コロサイ、へブル書において古い世界(コスモス)の「万象」は消え去るところだったのです。

2ペテロ3章以外で"stoichea"(万象)が使われているすべての箇所を研究すると、これらの箇所のどれひと つとして物質的世界について言及していないことが分ります。それらはまったくイスラエルの古い世界の基本的な教えと戒めです。上記のどの箇所においても霊 感された著者たちは古い世界の崩壊を預言したのです。

結論

私の議論のポイントを再提起しておきます。パウロはペテロが書いた(2ペテロ3:15~16)世の万象が崩壊するという意味と 同じことを記しました。しかしパウロは世の万象の崩壊について書くときにもっぱら旧約のイスラエルの「万象(諸元素)」が崩壊することについて書きまし た。ですから、2ペテロ3章でペテロが書いたことは旧約イスラエルの「万象(諸元素)」の崩壊についてでした。

この結論を否定するためには、パウロがふたつの違った「万象」と「世界」の崩壊について語っているということを証明しなければなりません。しかし、上記の ように、世の万象の崩壊について語られていることはまったく旧約世界の崩壊なのです。

この小論文で提示した証拠はペテロの、それゆえ聖書の論点は、すなわち歴史的ではなくて、契約的だということです。ペテロは旧約世界の中心であったエルサ レムの崩壊の少し前にそれを書いたのです。彼も読者も主の日が来るのを待ち望み、早めていたのです。(2ペテロ3:12)。その日は近かったのです!

万象の崩壊を伴ったペテロの主の日は来ました。その結果、今日の神のうちにある信仰者たちは未来を恐れるべきではありません。私たちの 救い主の新しい天と地に住む者として私たちは確信と義のうちにこの人生を生きるべきなのです。


a) Josephus, Antiquities (William Whiston trans., Grand Rapids, Eerdmans, 1987) BK. 3, chap. 6:4-7; chapt. 7:7, pp 86+

b) Paul's statement that the bondwoman and her son, representative of the Old Covenant, was yet to be cast out — for persecuting Christians — is prima fascia proof that the Old Testament did not pass at the cross as is traditionally maintained by many. Paul emphatically says the Old Covenant people would be cast out for persecuting Christians, the children of promise (Galatians 4:28-30). This persecution patently did not occur prior to the cross. Thus, Israel could not have been cut off at the cross.

c) F. F. Bruce, New International Greek Testament Commentary, Galatians, (Grand Rapids, Eerdmans, 1982) 206+.

d)ヘブル5章12節と6章1節以降の最初の原則は旧約の万象であることを示すすばらしい研究として、リビング・プレゼンス・マガジン 1995年8月Vol.6、No.1にあるマックス・キングの連載記事を参照してください。契約的終末論(プレテリズム)の賛同者ではない多くの神学者た ちもこの意見に同意しています。たとえば、F. F. ブルースは, The Epistle to the Hebrews (Grand Rapids, Eerdmans, 1964) 112+ で、存在したユダヤ人の信仰と習慣はキリストの真理を建て上げるための土台として用いられたという印象を持つと語っています。

April 6, 1998

   
 
   
この小論文はドン・プレストン師の許可をいただいて翻訳・掲載しています。
許可無く転載されることを禁止します。




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